コンビニで見る関わりたくない人の特徴と行動5選



こんにちは、すうです☺️

今日は少し親近感のあるお話をします。

最近、飲食が早くしまってしまうので、

コンビニって常に人がいますよね

夜なんか本当に前より人の出入りが多いって感じます。

そんな私も

「コンビニ」は1日に3回ほど寄らせていただいています。

そんな「コンビニ」で気がついた事があります

こんな人とは関わりたくないなって思う人の特徴や行動

についてです。

今日はこんなお話にお付き合い下さいね☺️



その1


お金を投げる人

これは皆さんの中にはやる人はいないのかなって思いますが、

実際によく目にします。

レジの方に対して投げつける、とかではなく、

台の上に思い切り放る人。

何が気に入らなくてお金を投げるのでしょうかね。

もしかしたら

無意識なのかもしれませんが💦

だとしたらもっと厄介だな、って感じてしまいます。

そもそも

お金に対しても、店員さんに対しても、

本当に失礼な事

こうゆう人はきっと、

お金に泣く日が来るのではないでしょうか


その2


タバコを注文する際に怒鳴る人

これもよく見ます

非喫煙者からしたら

銘柄なんてわからないもん。

だから

番号振ってあるのに。

銘柄をいって、バイトの子がわからないと

「ちげーよ、それじゃねーから💢」

「ちっ💢」

って・・・

いや、そこは怒るところじゃなくない??

って思いますね。

ニコチンが切れてきていてイライラするのでしょうか??

そんなの知らないし、店員さんが可哀想だといつも思います


その3


店の前で座りこんでタバコを吸う人

ごめんなさい

これも喫煙からみになってしまいますが、

コンビニの前に座り込んでタバコを吸うのはやめてもらいたいなって思います

まず

「くさい」

って事。

確かに灰皿は設置されているので吸ってもいいのだとは思います。

でも

私が言いたいのは

座り込んで飲食したあげくに堂々と喫煙して長居している方々

車を止めた際に

それが目の前で行われていると

まず「怖い」し、

「臭い」

し。

一体あなた方はなぜそこに座ってまで時間を過ごしているのですか・・

コンビニの喫煙コーナーもきちんと壁で囲って欲しいって思います。


その4


レジ袋おつけしますか?という店員さんにキレる人


これは最近あるあるです。

本当によく見ます。

「レジ袋おつけしますか??」

という店員さんに対して、

「は?金取んだろ??💢」

って人ね  笑

そうですよ、お金かかりますよ、

日本中のほとんどの人が認識しています。

あんまりごちゃごちゃパンや飲料を買えば、

店員さんもそりゃ聞きますよ。

「袋いるよな??」って思うもんね

それを察して効いてくれている人に対して、

イライラ口調で返すって  笑

もう本当になんなんだよ、この人、って思っちゃいますね  


その5


大量のゴミを無理やり入れている人

まあこれは

悪気はないのかもしれませんが、

そもそも、

そのゴミって、

「家庭ゴミじゃないの??」

ってゴミを

ぎゅうぎゅうに押し込んでいる人、いませんか?

コンビニのものを買って出たゴミをコンビニに捨てる

これが私の中では正しいのですが、

まあ、

多少は混ざって捨てたりもしますが、

明らかにあんたそれ、どこのゴミ??

ってのを

押し込んでいる人いませんか??

中身が入ったままのペットボトルを入れる人もそうだし、

ひどい時は

ペットを連れたおじさんがペットの糞らしきものを捨てていたり。

ちょっと考えようよーって思っちゃいますね。


私も毎日お世話になっているコンビニ

そんな便利なコンビニでよく見かける人々の5選をさせていただきました

まあ、最後のゴミに関しては多めに見れたとしても、

店員さんに横柄な人とは関わりたくないですね。

「感情のコントロール」

以前に、

「人をなんだと思っているのかな」

って感じてしまいます。


今日は少し違った感じで記事を書かせていただきました。

最近、心理学にハマりすぎて

インプットばかりで

アウトプットに漕ぎ着けなくて申し訳ありません。

また、遊びに来てくださいね☺️

スゥでした❤︎

エナジーを吸う人

すぅ

公認心理士

精神障がい者を主に社会復帰・就労を得意分野とする。

自己肯定感とセルフエフィカシーを重んじ、働くことを通して相乗効果を狙い支援。

施設メンバーはもちろん、他問い合わせにも柔軟に応じる。

・公認心理士

・介護福祉士

・介護支援専門相談員

・フラワーデザイナー

好きな食べ物:スイカ

犬を飼っているが猫好き(犬も好きだけど (笑))

花や自然が大好き

私は彼女との「違和感」を感じながらも日々を過ごしていました。

彼女は普段はとても温厚で何一つ責めるようなところのない人でしたがそれは「表面上」と、私には映り始めていました。

そのころの私は仕事も新規事業があり、ばたばたと忙しくしていましたが彼女とのメールのやり取りは続いていました。

家が割と近かったせいもあり、彼女が仕事帰りに少し私の自宅の方を回って、コンビニでコーヒーを飲みながら話す、みたいな日もありました。

こうして書くと割と穏やかかな、って感じもしますが私はこの辺りではすでにかなり彼女「気を使って」いました。

そこまでしてなぜ彼女と過ごそうと思っていたのか今になると自分でも謎。

謎、そのものです。

そしてペースは完全に彼女

私は彼女のスイッチがどこで入るのかが怖く、あまり積極的にかかわらないようにしていました。

この辺りではもうすでに半分ぐらいのエナジーを彼女に吸い取られていたのです

彼女のスイッチの頻度とタイミング

そんなある日にまた事件は起きます。

私の誕生日が近づいたある日。

たわいもないメールのやり取りでまた彼女はキレたのです。

私もうっかりしていたのですが、このころの私は彼女に対して、少し本来の自分らしく会話をしてしまっていました。

そんな中のたわいもないやり取りで、彼女のスイッチに触れたのです。

私の別の友人がいて、その子を今度彼女に紹介したいからご飯でも、と誘ったのですが、その時は「忙しくて💦またの機会に」と普通に返事が来たのです。

それで素直にやめておけば良かったのですが、私はふざけて、

「彼女に会わないと後悔しまっせー☺」と

余計な一言を放ってしまったのです。

そのメッセージの返答が・・・・・

「なんでそんな言い方されなきゃならないの??自己中過ぎない??」

「私たち性格合わないね。距離置こうよ」

と、いうものでした。

やってしまった・・・・・・・・・・・・・・

私の中ではその一言に尽きました・・・

あちゃs-ーーーー

そう思ったと同時に私の中で用意されていたセリフがあることに自分で気が付きました。

そうです

私は彼女がまた近く、キレる という予測をしていたのです。

その時にはこう言おう

そう思って決めていた言葉

「うん、わかった☺」

でした。

そしてそう送ると彼女は

「ありがとう☺」

と返答をしてきたのです。

決着の時??

それからは全く連絡を絶ちました。

私の誕生日もあれだけ計画していた彼女はスルーしてきたのです。

なんともわかりやすくでも違和感のある彼女の行動。

そして誕生日の数日後に私は決断をします

もうしんどい。。。。

何をしていても心が重たく精気が失せていくような感覚。

ついに家族やほかの友人にも指摘されてしまいます。

「どしたの??」

「最近おかしいよね??」

そして決定的だったのは、スピリチュアルな霊感を持つ友人と電話で話した時の一言でした。

「あのさ、すう。きづいてるかな?お前、依然と全然違うよ」

「え??」「何?何言ってんの??普通だよ」

そう言って笑う私に彼はさらに、こう言った。

「定期的に電話で話をしているからわかる。パワーがすごい勢いで減っている」

そして私は自分を見つめなおします。

そうだ

私はなぜこんなにあの人に振り回されていjるの??

何がしたいの??

家族は最近どうしているの??

他の友人は??

そう思うと一気に涙があふれて止まらなくなったのです。

そして意を決して彼女に直線電話しました。

自分の気持ちがしんどくて、びくびくして、傷ついて、それでも奮い立たせて・・・

「目が覚めたの」と

はっきりとそう告げました。

すると彼女は

「あ、そう。はいはいわかりました。さようなら」と言ったのです。

「あの、私は今まであなたの事大事に扱ってきたけれど、あなたはとことん私を傷つけたの。それを今私の口からきいて素直に感じた感情ってある??」

と私が聞くと、

「ないから!」

「自分はないから!」

と強い口調で言ってきたのです。

明らかに違う人格の彼女。

そして

彼女はこう続けてきます

「もう離れて・・・・・」と

驚くほど軽い気持ち

そのあとにその霊感のある彼に電話をして、

「実はね・・・」とこの話を2時間かけてすべて話をしたんです。

彼はこういいました

「全部持ってかれていたんだよきっと」と

「全然変わっていく、すう だった。自分で気が付いてない??そんなバカな」ってずっと心配していたよ、と。

私は自分の気持ちが驚くほどに軽く荷が下りた感覚になりました

そして荒れて使ってないキッチンに下りると、家族に対して申し訳ないと思いキッチンを片付けました。

神棚と仏壇の水は毎日変え、花も切らさなかったのなくなった母が守ってくれていたからでしょうか W

「もう、振り回されなくていいんだ」

「私はなぜ・・・・・」

そう思い翌朝の車の中ですっきりとした心を実感したのです。

離れた方がいい「エナジーバンパイア」

違和感 を感じた時点で離れた方が良かったのだと思います。

今思うと、

なぜ・・・私は・・・・と思うことばかり。

彼女のどこにそこまで引っ張られたのか

不明

いや

でも

私のオーラが勝ったのかもしれないけど、負けたのかもしれないけど?( ´∀` )

そしてこうも思います。

もしかして

彼女はツインレイとツインソウルかもしれない、と

私は何か「変わらなきゃいけなかった」のかもしれないと。

なんでも前向きに考える自分☺

でも

だとしたら

彼女にまた会う日がきっとくるに違いない

こんな人からは距離をおくべき

こんにちは、すぅです☺

今日はこんな人とは距離をとってくださいというお話しをします。

このテーマの記事やお話しって、たくさんあるかと思いますが、私も実際に出会った人で「この人は・・・・」という人の特徴・言動、そして私がどうして距離を取るまでに至ったか、をお話ししていきます。

すごくいい人じゃん

私は職業柄、たくさんの「悩み」に触れています。

基本的には「闇」のある方の相談が主ですが、一見普通に活躍されていて何の問題もない方の「やばいところ」を見て、触れて、そして巻き込まれることもあります。

「うそでしょ??」

って思った数は半端なく ( ´∀` )💦

そんな人の特徴を書いてみたいと思います。

自分がいつの間にか操られていく

自分がいつの間にか操られていく

そんな人にあなたは出会ったことはありますか?

「なんのこっちゃ」

と鼻で笑わないでくださいね。

実はこうゆう人って実際にいるんです

特徴としては

・すごくいい人

です。

すごくいい人

「自分は怒ったことないよ」

「これからはなんでも言ってね」

「大丈夫だからね」

出会ってたった数日でこんな風に言ってくる人には要注意です。

彼らは一見、

すごくいい人 なんです。

一見ね

距離感もそんなに詰めてくるわけでもないし、目的があるわけでもない。(物理的にも自分に利益になるようなことはなかった)

自分をさらけ出してきて、無防備に接してきます。

「こんな人もいるんだな」って関心させられたほどに私は彼女に心を開きました。

「困ったらいつでも連絡してきてね」

「なたは頑張ってきたんだから私に出会って頼れる場所ができたのよ、きっと」

そういっていつも笑ってくれる彼女。

得も言われぬ安心感に包まれる自分がいたのは確かでした。

そして彼女のすごいところは自分の弱いところを認めて、自分の愛する者(家族)などに対して精神誠意を尽くしているところでした。

どんな時も家族の心配をし、自分より弱いものは助ける、守る、のスタンスは見ていても尊敬に値する者でした。

あれ??

そんな人に出会って、自分自身の考え方に変化も出てきました。

「これはきっと素晴らしい出会いなんだ」と自分が成長できる気がしてならなかったのです。

そんなときに

私は初めの「違和感」を彼女に覚えます

「連絡がいつも取れない」

です。

最初は「タイミングが悪かったかな」って思いましたが、何度か続くうちに「違和感」を覚えました。

そしてわたしは彼女に聞いたのです

「意外と連絡とれないよねえ  W」

その時の彼女の返答はこうでした

「あ、ごめん。猫飼っていて音が鳴ると(携帯の)びっくりしちゃってかわいそうなんだよね」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「だから音もバイブも消してるから気が付かないの」

そう言って笑っていました

私は「違和感」をさらに覚えます。

いや

別にいいんですよ。連絡とれないのは自分で決めていいのだから。

でも

なんか強烈におかしい感じがしたんです。

それからも

彼女は私のことをすごく好きだと言ってくれていて毎日メールをよこしました。

その内容はいつも屈託のない、明るい、私を気遣ったものでした。

私はその非の打ちどころのないメッセージのやり取りにも違和感を感じてきました。

いつも

「ありがとうね」

「優しいのね」

「素敵だね」

などの定型文のようなメッセージ。

「この人は何を考えているのだろうか」

私はいつしかそう思ってしまうようになったのです。

そして彼女が本性を見せる

そんなやり取りからまあ、仲良くはさせてもらってはいました。

そんなある日

私も仕事が忙しく少し精神的余裕がなかった時に、

「今少し話せるかな??」

と彼女からメッセージが入ったんです

私は仕事で疲れていて、時刻ももう23時半くらいだったので、

「ごめん、明日でもいい??」

と返答しました。

それから私は眠りについてしまいましたが。。。。

翌朝、私は彼女からのメッセージに唖然とします

「もう結構です!」

と。

私は彼女に慌ててメールで連絡をしました。

「ごめん、話聞くよ」と

すると彼女の返答はこうでした

「今日会える??」

「前から言ってるけど今日明日は研修だから無理なんだよ💦」

そう答えると

「もう連絡しないで」

「え??ちょっと。。。。なんかあったの?!」

そうメッセージを入れると

「もう2度と連絡してほしくない」

とメッセージが入ったのです。

そして電話も出ず、

私は彼女にブロックされてしまうのでした。

なんだろうこの人。。。

何かあったにしても、普通ではないでしょう?・あなたのしていること (´;ω;`)

そう思いましたが、何も連絡できない状態で時間は過ぎていきました。

1週間後に違う人になった

そんなことから1週間。

私は気になりながらも毎日を過ごしていました。

「彼女の身に何があったのだろう」

「私に何かできることがあったのかもしれない」

そう思っては、気にかけていました。

そしてちょうど1週間がたった日の夜。夜中。

彼女からSMが来たのです。

「ごめん。。。あれから全然眠れなくて・・・あなたにひどいことをしてしまったから。今は合わせる顔もないの」

と。

私は彼女の身に何があったのかがさっぱ分からないまま、話を聞く姿勢に入りました。

「いいよ、私のことは。なんか辛かったんだね??大丈夫?」と

すると彼女はこういいました

「あれ?起きていたんだ??・・・・うん、大丈夫。ブロック解除するね」

と。

以前とはまるで別人の悲劇の彼女。

壊れてしまいそうな発言とメールからも感じ取れるそのはかない感じ。

「怒ってるよね・・・?」

そう送ってきた彼女のメールに、

「安心して、私は別に怒ってもないし変わらないから」

と答えると、

「辛かったよ、レンラクガ取れなくて・・・」

と返事。

皆さん

この会話って何かおかしくないですか?? w

私は今思うとこのあたりの彼女に対する違和感にも目をつむっていた気がします。

そう

彼女は全く私の話なんて聞かないし、私の気持ちやペースを考えられない人なんです。

でも

私は彼女の話に付き合い、その日は結局ほぼ眠れずに朝を迎えました。

又優しい彼女になる

それからは又、優しい官女に戻りました。

前のように毎日屈託のないメッセージで私を癒してくれました。

でも

私の中のあの出来事は以前と同じ、とはいかなくなっていたのです。

又同じことが起きるのではないか

そう

彼女のスイッチがわからないのです。

ある時は、ただのたわいもないやり取りで、私がラーメンを食べに行った話をしました。

すると彼女はいきなり怒り出し、

「私も行きたかったのに」と言い出したのです。

「え??」というと

「もう明後日の一緒にご飯食べる約束はなしで」

と一言メッセージが入ったのです。

私は唖然としながらもほっとくことにしました。

いや。

もうこの時点で彼女の奇怪な性格に興味が出てたのかもしれません。

観察したい。

そう思っていたのかもしれませんが、できれば彼女の抱えている、何かをわかってあげたい、とも思っていました。

そして彼女は本当にそれから約束の日の食事に行かずにしれっと過ごしたのです。

「この人は人の時間や気持ちを全く大事にできない」

そう実感しました。

全部あなたのせいにして・・・・

それからも何事もなかったかのように日々は流れていきました。

そんなある日、また事件は起こります。

ある日普通に彼女から電話があり話をしていると

彼女がびっくりすることを言ったのです。

「あのさ、この前のラーメンの事なんだけど。実はあの時体調が悪くてさ、つい当たっちゃって。。。」

と言ってきたのです

「ああ・・・いいよいいよ💦体調悪いと機嫌悪くなるよね」

と私が言うと

そうじゃないよ。全部あなたのせいにしてしまえって思ったの

と言われたのです。

「え??」

私はこんなこと言われたのが初めてでした。

真顔(声が真剣)でさらっと当たり前のようにそんなことを言われたのです。

私はこの時、

「この人は やばいな」

と痛感したのです。

私はまだこの時点では気づいてなかったのですが、早く離れるべきだったんだと思います。

この後の私はもっと彼女の餌食になっていくのです

そして話は後半へ続きます・・・・

愛の学び方

すぅ

公認心理士

精神障がい者を主に社会復帰・就労を得意分野とする。

自己肯定感とセルフエフィカシーを重んじ、働くことを通して相乗効果を狙い支援。

施設メンバーはもちろん、他問い合わせにも柔軟に応じる。

・公認心理士

・介護福祉士

・介護支援専門相談員

・フラワーデザイナー

好きな食べ物:スイカ

犬を飼っているが猫好き(犬も好きだけど (笑))

花や自然が大好き

おはようございます、すぅです☺

今日もお天気が良くて気持ちのいいスタートになりました♡

今日は「愛」というものについてのお話しを少ししてみたいと思います。

私は「愛」、というものに対しては非常に振り回され、翻弄されてきました。

まあ、よくあるお話しではあるのでしょうが「恋愛下手」という称号をいただいております ( ´∀` )💦

それゆえに傷つき、悩み、人一倍学んできました。

学んだ、と言っても・・・

活かされてはないのですが 💦

では。お話しをしていきます

愛なしに人は生きれない

ひとは「嫌なこと」からは逃げて避けるようにできています。

人を愛して傷ついたり、苦しんだり。

そうのような経験は少なからずみんなあるのではないでしょうか??

だとしたら

もう人を愛さなければいい

そう思った方もたくさんいらっしゃるかと思います。

でも

あなたは又誰かを愛し、そして愛されることを求めてしまいます。

なぜだろうか

人は 愛 なしには生きられないからです

人に愛されたい、と思うことはごくごく自然なことです。

「愛」は勘違いしていると諸刃の刃となってしまいます。

求めることは与えることであることを常に忘れてはいけません。

人を愛することを学ぶ

人を愛することはとても簡単なようで難しいものですよね。

自分の子供や肉親を愛する心は基本的に成長過程で備わってきたとしても、

それがいざ他人に向けられるとなると人は一気に「「自分」を守りに入ります。

これはどうゆうことか

例えばあなたが誰かを素敵な人だと思い込み、その人のことが頭から離れないとします。

そしてその人をもっと知りたい、もっと感じたいし、触れてみたい。

そう思っているときは「恋」なんだと思います。

四六時中その人のことが頭の中にあって気が付けば気にかかってしまう。

ひどくは「食事ものどを通らない」なんてこともあるのではないでしょうか?

胸がいっぱい 現象ですね  ( ´∀` )💦

そんな風に誰かを思える恋心は素敵なものだと思います。

しかし

厄介なのはその先。

そのお相手と実際に近づけた場合からです。

人は「求める」ことを条件にそのお相手に与えることをします。

当然と言えば当然でしょう。

無償の愛などそんなできた人はそうそう居ないものです。

それはそれで間違ってはないのです。

しかし

問題は「順番」なのです。

先に愛すること

与えること

が大事になります。

問題は愛情表現の質と順番なのです。

なんだか打算的なお話に聞こえますか??

人は誰かに愛されて「嫌な気持ち」には基本なりません。

その気持ちの質と順番さえ合っていれば、おお話しですが。

これはとても大事なことなんです。

頭のいい方はもうイメージができたと思いますが、

この質と順番を間違えると「ずれ」は生じて、最初は何も知らなかった丸く綺麗なお互いの気持ちは歪み、ひねくれ、濁り、全く違うものと変化していくのです。

あなたにできること

あなたがもしも今

とてつもなく誰かに愛されたいと思うなら

まずは「愛すること」です。

よく聞く簡単なセリフに思えますがこれは深い意味を持つことなのです。

愛することに「学び」を加えないとあなたはきっとお相手には愛されないかひどくは嫌われてしまう。

さきにお話ししたように、愛することには質と順番が大事になります

まずは相手を思いやってあげてください

あなたの大事なあの人は何が好きなんだろうか

あなたの大事なあの人はどんな人なんだろうか

あなたの大事なあの人は内を喜びとしているのだろうか

あなたの大事なあの人は何を癒しとしているのだろうか

そこがひとを愛することへの入り口です。

愛されたいというサイン

人はだれかに愛されることで成長し、自信を持ち、強くもなれます。

「1人」では到底生きてはいけないのです。

「愛されたい」「愛してよ」というサインはみんな知らず知らずのうちに発しているものです。

例えば「喧嘩」がその1例になります。

恋人同士の喧嘩はまさに「愛してよ」のサイン。

大好きなお相手に文句を言うのも、要求やお願いをするのも、根本は

「私が愛しにくくなるようなことはやめてください」という心の声からなんです。

訴えなんです。

もしもあなたのお相手があなたに対して不平や不満をぶつけてきたらそれはあなたにもっと愛されたい、というサインかもしれません。

そして

あなたもお相手に対しておなじような言動をします。

「喧嘩」は言葉的には「喧嘩」であり、その意味は深く大事なものなのです。

「犠牲」と「愛」は違うのです。

答えは何億とある

人を愛することに対する答えは何億通りとあります。

それはその人によっても、その時期によっても違うからです。

「それだとどうしていいのかわからないじゃん」

そう嘆かないでください

簡単なことを言いますね

「相手をみること」です

相手をよく知り、見ることが大事なこと

あなたが愛したいのはお相手であり、まずはそこをクリアできるかやってみてください。

エゴや自己中な固定観念は邪魔になります。

相手に対して求めることはただ一つ

「幸せを感じてほしい」ということです。

シンプルにそれです。

私は思います

この人生でその人と出会えてお互いの存在を知れたことはすごくすごーく素晴らしいことではないでしょうか?

まずはそこから、お相手の存在自体に、めぐりあわせに感謝してみましょう。

そうしてお相手を知っていくことであなたの次にするべきことは自然とわかってきます。

愛することの答えは何億とあるけれど

軸はシンプルに1本なのです。

頑張ることの、向こう側


すぅ

公認心理士

精神障がい者を主に社会復帰・就労を得意分野とする。

自己肯定感とセルフエフィカシーを重んじ、働くことを通して相乗効果を狙い支援。

施設メンバーはもちろん、他問い合わせにも柔軟に応じる。

・公認心理士

・介護福祉士

・介護支援専門相談員

・フラワーデザイナー

好きな食べ物:スイカ

犬を飼っているが猫好き(犬も好きだけど (笑))

花や自然が大好き

こんにちは、スウです⭐︎

今日はとても暖かくて過ごしやすい日です☺️

こんな日は気持ちも少しは上がってきたりしませんか??

さて今日は、「頑張る」ってことの意味についてお話しをしていきます。

私の初期の時代の記事に「頑張る」ってことを否定しているんですが、今日はその話にさらにプラスワンしたお話しをしていきたいと思います。



「頑張れっ」ていけない言葉??


「頑張れ」って言わない方がいい。

そんなお話やアドバイスを受けた経験はありませんか??

なぜか

もうすでに極限まで頑張っっているんだからこれ以上頑張れないよ‼️💢

これがその主な理由になります。

人は幼少の頃から「頑張る」事に「正義」を感じてきました。

「正義」と言うと仰々しいのですが、

「頑張る」事で褒められたり、対価を得たりした経験は少なからず誰にでもあるのではないでしょうか

あなたが成長過程で、「頑張った」事に対する対価はい一体なんだったのでしょうか??

「頑張ったね」と褒められる充足感でしょうか

「すごいね」と言われる優越感でしょうか

「頑張り屋さんだ」と認められる満足感でしょうか

そうです

人は「親」に褒められる事によって「頑張り」は「正義」だと思っているのです。

その充足感や優越感や満足感が

「正しく作用」さえすれば、

あなたは頑張ってもいいのです。


承認欲求


私は承認欲求は「クズ」だと真っ向から否定をする気はありません。

でも

いいものだとも思ってはいません。

できれば誰だって切り離していきたい、そう思っているのではないでしょうか?

「頑張る事」や「我慢」は

承認欲求の源泉です。

そうやって頑張ってきたから、褒めてもらえる。

そんな自分

そうやって我慢したから、ご褒美をもらえる。

そんな自分

「頑張る事」や「我慢」にはかならずその先に他者への承認欲求があったりしませんか?

例えば

大好きな彼のために遊びにいきたいのに我慢する。

『私にとって、遊びに行かないことが彼への愛情表現だ』

とします。

その我慢や頑張りの先に何が欲しいのですか?

彼に認められたい自分です。


言葉より行動、と美学のようなものがありますが、これってそもそも当たり前の行動でしかない。

承認欲求を間違った方向で一気に信じてしまう自分が自分を苦しめて、無理をさせて心を壊すのです。

彼が認めてくれなかったらどうするのですか?

答えは明確です

あなたはもっともっと頑張り、もっともっと我慢をして彼の承認を待ち、そして自分の「今」の限界を超えてしまうのです。

その時に彼はきっとこう思います

「どうしてそんなに頑張ったの?」


「頑張れっ」て言わない方がいい人


あなたがもし、その「心が壊れかけてしまっている人」に接する時、

「頑張れ」って言わない方がいい人は

頑張ることの先に誰かの承認を求めている人

です。

しつこいぐらい言いますが、

人は意図策略的には、人を変えることができません。

人の心をうまく利用したりすることはできても、

「変える」ことはできないのです。

人が変わるときは「自分が気が付くとき」だけです。


頑張ったその先に、あなたの求めているものは(承認は)、あなたの決められるものではない、と言うことです

ほぼ間違いなくその対価を得られる場合もありますが、人って思った以上に「他者の気持ち」や「苦労」「苦悩」に無関心です。

そんなあやふやなものに、あなたの心が壊れるほど頑張る必要はないと私は思います。

「頑張らなくていいよ」

そんな言葉は、目の前の人はが不確かな何かに承認を求めて頑張っている際にかけてあげて欲しいと思います。

そうです

すぐに「リセット」ボタンを押してあげてください。

「もう頑張らなくていい」と

今この瞬間にあなたが認めてあげてください


「頑張れ」と言って欲しい人もいる


一方で

「頑張れ」と言って欲しい人もいます。

言って欲しいと言うか、言ってくれるだけで「原動力」に変えられる人です。

それは

頑張ることの先に成功体験を得られる人

です。

頑張りの先に成功体験を得られる人は「ゴール」を知っています。

そして

そのゴールに行けば、自分がどれだけ成長できて、どれだけ自信が付くのかを知っている、もしくは「成功体験を体感しに行こう」としている人です。

彼らは自分の「頑張ったことへの承認を得たくて頑張っているわけではない。

「自分」のために、「自分軸」で頑張っているんです。

例えばそれが、「我が子のため」と頑張っていることであれ、

先の例のように大好きな彼のために頑張ったことであれ、

その結果が自分が満足できるものならいいんです。


何のために頑張ってるのか


「その人は何おために頑張っているのか」

「頑張ってきたのか」

その答えに近いものを話ながら読み解き、「言葉」はかけるものです。

心の壊れた人や、壊れかけた人に対して、

マニュアルや取説はありません。

頑張って

その言葉の中に

過去の彼(彼女)、生い立ち、思い出、苦悩、承認欲求、成功体験、

様々な裏の事情が絡み合っていきます。

そうゆう意味では「うかつに言わない方がいい」のかもしれませんが 笑


逃げ場のなくなる言葉はかけないで欲しい


「言霊」というものがありますよね。

言葉の持つ力はほんとうにすごいなって思います。

言葉が自分の過去体験や様々な感情を一気に引っ張ってくる。

相手が捕らえる印象も、意味も

それは全く違うものになってくる時がある。

だからこそ

「逃げ場のなくなる言葉」をかけてはいけないんです。

大人は無邪気さを失い、柔軟な気持ちを固くしながら生きていきます。

子供と違い、

「逃げ場のなくなる言葉」は「恥ずかしさ」と絡み合うとやっかいな事になります。

「恥」

というものは、人に「怒り」の気持ちを与えていきます。

心が壊れる前にも後にも

大事なことは自分軸でもあるのです

執着はいらないんです

すぅ

公認心理士

精神障がい者を主に社会復帰・就労を得意分野とする。

自己肯定感とセルフエフィカシーを重んじ、働くことを通して相乗効果を狙い支援。

施設メンバーはもちろん、他問い合わせにも柔軟に応じる。

・公認心理士

・介護福祉士

・介護支援専門相談員

・フラワーデザイナー

好きな食べ物:スイカ

犬を飼っているが猫好き(犬も好きだけど (笑))

花や自然が大好き

こんにちは、スウです☺️

今日は「執着」のお話です。


「執着」

みなさんは自分が今何に執着をしているか。。。とか自覚があったりしますか??

大抵の人は「自分は執着なんてしていない」って思っているかもしれません。

でも

人は いつの間にか何かに、誰かに 執着して生きているんです。

だからこそ執着を手放せずにいたりします。

では一体 執着 の何が「楽」で、

そしてなぜ 執着 は要らないのか、を書いていきます。


執着することで楽になる


執着をしていることで人の気持ちや行動は「楽」になります。

みなさんは自覚があまりないのかもしれませんが、誰しも何かに「執着」や「依存」をして生きています。

相手に委ね、任せ、

そうすることでどこか「楽」と思えたりします。

「幸せ」と勘違いすることもあると思います。

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎  ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎  ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎  ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎  ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎  ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎  ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

一言に「執着」と言っても、その大きさは様々ですが、誰しもがその感情からは抜け切れないものです


執着を手放す


執着というものからは、たくさんの感情が生まれていきます。

その感情のほとんどはあまり気持ちの良いものではないでしょう。

自分の作り上げていたものへの執着だったり、恋人への執着、我が子への執着だったり、、、、、、

つまり、人はそうやって自分を「誇示」したがります

でも

その先に何があるんでしょうか

恋人や我が子への執着はもう論外、のレベルだと私は思っています。

「人の気持ち」「ひとの人生」に執着することほど危険な綱渡りはありません

はっきり言いますが

「ひとの気持ちはか変わります」

それはごく自然で当然なことなんです。

よく「〇〇くんは一生変わらないって言ってくれたから信じるの」と、

「信じる事」を正義みたいに誇っている人がいますが、

それも私からしたら「終着」

人を信じるということは「静かな湖みたいなもの」です。

深く、静かで、冷静沈着

相手次第で変わったり、公言するものではありません。

「執着」と「自己満足」のコラボレーションは恋愛事情ではよくみられます。

しつこいようですが

「ひとの気持ちは変わります」

そこに執着している限りあなたはずっと不安定な綱渡りをしていることになります。

自分の作り上げてきたものへの執着なんかも同じです。

よく職場に長くいる先輩上司のような存在に多くみられますが、

「自分のしてきたことへの執着」が半端ない 笑

「嫉妬」や「怒り」はそこからも十分に発せられ

結果、人の気持ちを傷つけることになるんです。

あなたはその「実績」に執着してどうするんでしょうか??

そこは居心地がいいのでしょうか??


自分を客観視すること


自分のことを客観視することで「執着」というものから距離を取ることが可能です。

第三者となって自分を冷静に判断してみてください。

人は、「人のこと」になると何倍も寛大になれたりします。

例えば「怒り」や「嫉妬」の感情は 執着 の呼ぶところではないでしょうか

そんな時に、自分を他の人として冷静にみてあげることはとても大事な行為になてきます。

「いつでも冷静にいろ」

とは言っていませんが、

執着から生まれる「怒り」や「妬み」、「悲しみ」、「つらさ」に何の得もないのです。

「冷静」で要られる切り替え方を知っているだけで、あらゆるトラブルや人間関係から解放されていきます


執着を持ち続ける人


私は「執着」を持ち続ける人が「凄い」とすら思います。

疲れないのかな。。。。って

様々な人が通る道の真ん中にテントを張って潰されないように耐え忍んでいるイメージ。

人に対する気持ちや自分の作り上げてきたものってそんなものではないと思うんですよね

仕事をしているとそんな人にたくさん出会います。

特に私はこんな身なり?で(笑)施設長をしているので、後から入ってくる年上の方々には強くあたられることが多いんです。

その方々にも業界での実績やプライドがあるかとは思うので特に反応もしませんが、されていい気持ちはしません 笑

私は別に自分のしてきた仕事に「理念」はあっても「執着」はないのでその人たちには何のマイナスな感情も抱きませんが、みていて「大変だろうな」と思っています。

明日、もし

施設長を辞めさせられて現場の職員に戻っても、私は何も変わらず福祉に対する「理念」だけを守って働くでしょう

過去に囚われないことで未来の自分がリアルに感じていけます

そのほうがよっぽど気持ちいいんです❤︎


自分を軸にしよう



自分軸をしっかりもっている人は仕事でも素晴らしい結果を持っています

私はそんな人たちを何人も見てきました

周りに囚われず「執着」を手放すことがうまくできている人たちはいつも冷静であり、ぶれない心の持ち主です

そして

「焦っていない」

ことです。

明日から

仕事がなくなっても、恋人にさられても、(そりゃ落ち込みはしますが)

彼ら、彼女らはいつも「次」を考えます。

執着も依存もない

そんな感情に慣れているのでしょうか。

「どうしてそんなに大丈夫なの??」と聞くと

「大丈夫じゃないけど、だって仕方ないじゃん」

と笑って言い放つのがこのタイプの人たちです。

そう

仕方ないんです  笑

この「仕方ない」の感情だって、執着をしてないからストンと落ちる感情なのではないでしょうか



人を愛することや

人を救える行為は、

執着を手放してその先に本質があるような気がします

点と点が繋がる瞬間


すぅ

公認心理士

精神障がい者を主に社会復帰・就労を得意分野とする。

自己肯定感とセルフエフィカシーを重んじ、働くことを通して相乗効果を狙い支援。

施設メンバーはもちろん、他問い合わせにも柔軟に応じる。

・公認心理士

・介護福祉士

・介護支援専門相談員

・フラワーデザイナー

好きな食べ物:スイカ

犬を飼っているが猫好き(犬も好きだけど (笑))

花や自然が大好き

こんにちは、スウです☺️

今日は「点と点が繋がる瞬間」のお話です。

点と点が繋がる

そんな気持ちの瞬間を感じたことはありますか??


努力や継続の先にあるもの


無駄な努力は、ない

誰しも「努力」とか「我慢」とか「頑張り」を持って日々を生きていると思います。

一つの点が、1つの「努力」とか「我慢」とか「頑張り」だとして、

その点がバラバラに存在する「星空」のようなイメージをしてください

星空

きれいですよね✨

無数の星を見たことは誰しもあると思います。

その「美しさ」は何だと思いますか??

なぜ「魅了される?」のかってことです

きっとそれは

大きさの違う、輝きの違う、ランダムな廃置の、そんな集合体だからです。

それが私には「人の人生の努力や継続」に見えて仕方ないんです。


点をつなげた 星座 と神話

点と点をつなげて「星座」ができることは多いです。

小学生の頃、よくそんな授業を受けたかと思います。

私は星座の授業やギリシャ神話が大好きでした

そしていつしか、その「星座の点と線」を、人生だと感じるようになりました


何かに「努力」をしている時

その努力は「点」でしかありません。

「点」 「点」  「点」  「点」  「点」 ・・・・

そんなバラバラの「点」を繰り返す毎日に嫌気がさした日も必ずあったはずです。

でも

必ず「点」はつながって、その瞬間に私たちは一気に「気がつく」のです

「こうゆうことなのか」

この感覚は「何かに成功した人」なら誰しもが体感したことがあると思います。

そう

私が言いたいのは

「努力」や「我慢」夜「継続」は必ず結びつく、ということです。

その結びついた線で描くもの

その描いたものに宿るストーリーこそ

私たちの「人生」そのものなんです


「成功者」「幸せ人間」は、

「体験」を済ませています

感覚を知っていいて、努力の意味やその先にあるものを知っている。

どんどん線をふやして、大きなものを描いていけるんです


花にもまた伝説がある

花のような結び目

私はフラワーデザイナーでもありますが、「花」にもまたその1つ1つに「神話」や「花言葉」が存在します


366日の全ての「日に「その日の花」花が存在し「花言葉」を持ちます

私が「花」に魅了されたのは「花言葉の伝説」も大きな理由の一つです。

星座が煌めきの1つ1つを線で結んだ物語なら

花は開花(目標)にかけた真っ直ぐな物語ではないでしょうか

花の伝説には必ず、そこに開花する美しさの意味 がありますから


点と点が繋がるその瞬間の気持ちを私は「成功体験」だと思っています

花の開花のような瞬間も「成功体験」。

その瞬間の気持ちよさ、納得のいく感覚、すっきりした感じは

まさに点と点がつながった瞬間

花ひらく瞬間

だからこそまた、点を生み、点と点をつなげる作業に取り掛かれるのです。


大好きな人と見たいもの


私は自分が大好きだって思う人と「星」を観たいと思っています。

星空を見ることで、自分の努力や我慢が「力」に変わる瞬間、を

私は大好きな人と一緒に見て、そうして慰められたいんです☺️

点と点がつながって、この人が横にいる

と、噛み締めながら満足したいんです

感じたいんです。大事な人との出会いや奇跡を


みなさんも大事な人や大好きな人を星を見に誘ってみてはいかがですか?

そして確認してきてください

「最高体験」を

人生の勝算

こんばんは、スウです☺️

今日は1冊おすすめの書籍のご案内をさせてください

「前田裕二」さんの

人生の勝算

です。


「前田裕二」さんと言えば書籍は「メモの魔力」で有名ですが

私もある尊敬する人に聞いてこの「人生の勝算」の存在を知って読んでみたんです


こんな人は読んでほしい ⬇️

  • どうして自分はうまくいかないんだろうと思う人
  • 自分の境遇に納得がいかなくて悔しいと感じている人
  • どうしたら「結果」を出せるか、その仕組みを知りたい人

この本の魅力


今では知らない人はいないくらい有名な「SHOWROOM」代表の前田さんですが、彼がどんな境遇から今日に至っているかが書かれています。

その途中途中に登場する

「彼に関わった重要な人物」

そして

「彼が決めてきた、決断してきたこと」

が、書かれています。

「そんな本、よくあるじゃん」って思った方もいると思います

私もその手の本は沢山読んできました

でも

この本の魅力はそこだけではないんです


具体的に書かれた内容


私はこの本の内容に引き込まれて一気に読み終えました

それは「具体性」にありました

より具体的に書かれている「心の動き」がとても面白く、私に読むのを止めさせなかったんです

すごく完成度の高い本、というわけでもなく(偉そうにすいません💦)、でもだからこそ身近にも感じる臨場感みたいなものを感じられる本なんです


彼が決断してきた瞬間


彼が現在の「前田裕二」になるまでにしてきた [決断」のいくつかとそこから生み出してきた「答え」のリンクがとても勉強になるんです。

「決断」って結構ハードル高いことじゃないですか??

でも

この本を読むとその意識が少し違う方向に向かうんです

「あー、そっちか」と考えてしまう瞬間が何度かありました


インドの列車内での話


本の最後の方に書かれている「列車で会った少年」の話があるんですが

そこで前田さんが発してる「思考」が素晴らしいって思いました

まさにその通りだと

公平で暖かい

逆境は必ずバネになり努力と情熱次第で人はどんな高みにだっていける

そんなことが本気で感じられる一冊でした

これは絶対に読んだほうがいいです。

本が好きな私もかなり影響を受けました

失敗したっていいじゃない

こんにちは☺️

今日は「失敗」のお話を書いていきたいと思います。


「失敗」

みなさんも過去に何度か「失敗」の経験はあるかと思います。

そんな「失敗」の体験はあなたにとってどんな気持ちを残していきましたか??

「失敗」は

  • 恥ずかしい
  • かっこ悪い
  • 悔しい
  • やらなきゃよかった

などのあまりいい印象ではなかったのではないでしょうか??


失敗って恥ずかしくない


失敗は行動の証

私自身も「失敗」した話をすることはありますし、「失敗」のお話を聞く機会がたくさんあります。

面談を行っていると、大抵の人は「過去の失敗」からマイナスやネガティブな感情を増幅させ、関係のなかった他のものまで巻き込んで、過剰なまでに「失敗」を「しっぱい」にしています。

「失敗」は行動の証。

「行動」をしたからこそ、あなたは失敗したのです。

何もせずに、何も選ばずに、何も発せずに、「失敗」はあり得ないのです。

絶対にどこかで何かの決断をしたり、何かを決めたりしてその先にあるのが「失敗」や「成功」などの 結果 ではないでしょうか

行動した人にだからこそ「失敗」も「成功」もあるのです。


失敗せずにどうやって成長するの??

成長と失敗は背中あわせ


「成功」も「失敗」も行動の結果ではありますが、そこが最終地点ではないのです。

「失敗」から学ぶことは実は本当に多くあり、それは「成長」のチャンスなんです。

コインの裏表と同じように、

背中合わせの「成長」と「失敗」

必ずこの2つはセットになっており、「失敗」のコインは「成長」のコインでもあります

「失敗」は「行動」あってこそ。

「行動」した者には必ず何らかの「変化」が与えられます

「成功」した者も当然ながら「失敗」あっての「成功」なのです。

私は、「失敗しなかったものに成功は得られない」と思っています。

これは感覚ではなく、理屈の通った話です。

私もたくさんの失敗を繰り返して、学び、成長し、また行動をしてきました

そしてその行動の繰り返しは確実に成功の階段をあがっているのです


誰かの期待に応える失敗

人は「誰かのため」になると普段現さない力を発揮したり、やる気を出したりします。

あの人のために頑張らないと、

あの人にこう言ってもらいたいからこうしないと、

時にはそんな気持ちも大事かもしれません

でも

もしそれが「失敗」という結果で終わってしまったら。

この時の「失敗」をしたときは人はより落ち込んでしまうものです

「誰かのために」という思考から行動し、失敗を経験した時、誰しもが「期待してくれていた人」のがっかりした顔が浮かんでくるかと思います

「期待に応えられなかった自分」にフォーカスしてしまい、

「自分はなんてダメなやつなんだ」、と責めがちです

でも大事なのはそこではないのです。

大事なのは「人の期待に応えようとした行動」なのです。

「人の為に行動ができる」というのは 

人の持つ思考と行動の素晴らしいコラボレーションです。

人に承認されることに「支配」される必要はありませんが

、人の期待を自分の動力にしてやってみるのもいいことだと思いませんか?



失敗と継続こそが成功


行動し、失敗し、学び、成長し、そして「継続すること」

これこそが「納得のいく苦労」ではないでしょうか

「こんなことに何の意味があるのか」と思っていることでも、行動し、失敗しても継続する。

その先には必ず「成功体験」を得られる日が存在します

これは私も何度か経験しているのではっきりと言えますが、

「成功体験」を獲得するところまで行くこと、は重要です。

その過程に何度の失敗があっても「継続」すること

その先に「成功体験」を得る日は必ずやってきます。

(しかも、いきなりきます)

「わーいゴールだ‼️」と感じる人よりも、気がついたらゴールを通過していた人の方が多いのではないでしょうか??


最後に


失敗を恐れて何もできなことこそが大きな失敗です。

「行動する」ということができた時点でそれは失敗ではありません。

人は人生を生き抜くのです。

限られた時間で「生き抜く」には「考えること」なんです。

神が人間に与えた「能力」が「思考」です。

考えて、考えて、限られた時間を、自分の人生を生き抜くのです

そして「人を守れる人」は「強い人」であり、「自分で考えて歩ける人」です

「失敗」は人生の途中経過にはありません。

全て終えて、目を閉じる瞬間にあなたは何を「失敗」と思うのでしょうか

あなたを守る魔法の手

おはようございます☺️

スウです。

昨日の雷雨は凄かったですね💦

私は雷が昔から苦手で、雷が酷くて会社休んだことがあるくらいです😅

私の中で雷を「無差別テロ」って呼んでるんですけどこれを言うとみんな大体笑うんです💦

結構真剣なんですけどね😂

どこにいつ落ちるかわからないし、なんか逃げようがないと言うか。。。

      雷さん、ってキャラにすると可愛いですけどね💦


今日は少しこころ温かいお話です☺️

みなさんを守る「手」についてのお話。


手当てをする


子供の頃から私たちは怪我などすると、「手当てしなきゃ」という言葉を使ってきました。

お金の面でも、「母子手当て」や「失業手当て」なんて実際の制度があったりします。

この「手当て」と言う言葉

本当はすごく意味が深く暖かく、そしてもっと素敵な言葉なんです。

「手当て療法」と言う言葉が今日、私が伝えたいことにしっくりきたので呼んでみてください☺️

⬇️


母の手から感じた魔法

私は医者でもセラピストでもありませんが、人の手に宿る不思議な力を感じたことがあります。

これは決してスピリチュアルなお話ではなく、人の手から発せられる「体温」や「感触」や「気」のようなものなんです。

私が小さな頃、胃の弱かった私のお腹に大きな手を当てて「大丈夫、大丈夫」って言ってくれたのを覚えています

その手の温もりや感触にわたしの眠れない程の胃の痛みはいつしか「ジンジン」とした暑さに変わり、溶けていくようでした。

擦り傷を負った時も消毒して絆創膏を貼ったその上から

母はいつもじっと手を当ててくれたのを覚えています


こころも癒す魔法の手


わたしは仕事柄、深い悩みを持った子たちと接しています

心に傷を負い、どうしても落ち込んでいってしまうあの子たちをみていると

「言葉以外の何か」が必要なのではないかと感じます。

わたしが母にしてもらった「手当て」は、怪我や痛みだけではなく「こころ」にも効くんじゃないかって思いました。

彼女たちの手を握り、同じ言葉をかけていきました

「大丈夫だよ」と。

目を瞑って、深呼吸をして、わたしの手からの温度を感じて

そうした時、彼女たちは驚くほどに落ち着くのです


人は誰でも魔法の手を持っている


よく気功の先生とかで「手から気を出す練習」なんて教えてくれたりしますが、わたしはそこまで本格的に行う必要はないと思います。

人の手は生まれながらのパワーを持っているからです。

スピリチュアルなお話をすれば「宇宙エネルギー」の集まるところ、気の集中するところであり、

現実的なお話をすれば「人が1番何かを確かめる部位」であります。

「手の感覚」 と言うのはみなさんの想像以上に私たちに様々な判断を下しています。

手で感じたもので、それが「危険なもの」なのか「安全なもの」なのか、

「弱いもの」か「強いい」ものか

今までの経験値から脳と連動して、それが何かを言い当てたりもします。


その手が人を守る


あなたのその手が

人を守っていきます。

「自分には何もできない」と思っている人がもしもいたら、それはこの瞬間から間違いになります

その手の感触や温もりであなたは人を十分に「癒せ」ます。

相手の気持ちに寄り添う時

あなたの魔法の手を大事な誰かに翳してみてください。