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障害の偏見

すぅ

公認心理士

精神障がい者を主に社会復帰・就労を得意分野とする。

自己肯定感とセルフエフィカシーを重んじ、働くことを通して相乗効果を狙い支援。

施設メンバーはもちろん、他問い合わせにも柔軟に応じる。

・公認心理士

・介護福祉士

・介護支援専門相談員

・フラワーデザイナー

好きな食べ物:スイカ

犬を飼っているが猫好き(犬も好きだけど (笑))

花や自然が大好き

きょうのTwitterに上がっていますが

障害者手帳の取得があるからというと

「明らかにめんどくさそうな顔」
「嫌な姿勢丸出し」
「下に見てる感の横柄な態度」
「わかっているかのような上から目線発言」

私はいつも思うのです。

「この人たちは何なんだろう」って

何なんだろう。

実際に福祉施設の職員にも多く見られますが、自分より下って認識。

見下したもの言い

「あなたはそんなにできた人間なのでしょうか??」

「自分の大事な方が同じような症状で苦しんでいても同じことができるのでしょうか??

人を見下す人のほとんどの方が、「自己肯定感の取得」が目的だと私は思います。
そもそも自分に自信がなかったり、承認欲求に溺れ、ストレスが溜まっているか。

周囲の自分よりできない部分を見つけてはそこに吸着し、気持ちよく人をばかにしてくる。

裏を返せば結局自分に自信がないのです。

会社っていうのはたくさんの様々な人が働いています。

「だからさ、常識がないと・・・私も困るんですよ」

はい??

常識ないのはあなたではないでしょうか?

そんなことを足をカタカタさせながら平気でいってのける。
そうゆうところです。

私は人をばかにしたり、能力の有無を一方的に決めつけたりするのは好きじゃなく、
これは綺麗事じゃなく、

障害って特徴の方が大きくて、別に無能とかバカとかじゃないよ。

悔しいというか。

なんか情けないなって思った。

まだまだそんな人が普通にいるんだなって、思った。
そしてそんな人が私みたいな福祉施設の責任者との話に応じるとか。

ちょっと違うんじゃないかな??

彼らの1分1秒の時間の重みや苦しさを1分でいいから考えて欲しい。

じゃあ、理解はいらない
せめて

人を傷つけるなって思う

落ち込まない、抜け出そう

すぅ

公認心理士

精神障がい者を主に社会復帰・就労を得意分野とする。

自己肯定感とセルフエフィカシーを重んじ、働くことを通して相乗効果を狙い支援。

施設メンバーはもちろん、他問い合わせにも柔軟に応じる。

・公認心理士

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犬を飼っているが猫好き(犬も好きだけど (笑))

花や自然が大好き

落ち込み

心の中から離れない酷く悲しく苦しい事がずっと離れなくなってしまう。

目の前の仕事なんて手に付かないし、何しても楽しくもない。
家族とも話したくないし
でも、どうにもできない 

私自身わりと、この「落ち込み」に左右されてきました。

みなさんにも経験があるかと思います。

この、心の落ち込みって「望まない感情」ですよね。

大好きな人にふられた
心ない言葉を浴びせられた
認めてもらえなかった

など

どれもこれも、「誰か」の気持ちに由来しているもの

だから、
どうにもできないのです

依存したり期待したりしない事

基本的に人(自分以外の他者)への期待はすててください。

「愛されたい」
「大事にされたい」
「認められたい」
「褒められたい」

そうゆう感情を抱いて、いくらそこを目標に頑張っても、そのさきに得るものに何の価値もないんです。
人の感情はあくまで人の感情。

期待するから裏切られたと感じるし、そんな大切な目標を他人の気持ちに委ねる事自体が間違っています。

「人に認められる」という事。「愛される」ということって、付加価値です。

自分の中の幸せ度を100パーセントにするのも、保つのも、「自分由来」にしてください。
付加価値は120でも150でも上がっていけばいいのですが、100のラインは守っていきたいものです。
それができると酷く落ち込む事がなくなってきます。

人の気持ちって変わります

自分もそうであるように、人の気持ちって変わります。

変わるきっかけも、タイミングもわからない

よく、「こうすればうまくいく

」「こんなことしたらNG

」とか記事が出ているのを見ますが、
あんなことで人の気持ちの固定化なんてできません。

今回のお話でいくと、「落ち込まない、落ち込みから抜け出す」ってことが目的なので、まずは気持ちの安定化を図ることです。

人を信じるな、ってことではないんです。

委ねるな、と言っています。

たいていの怨恨なんんかはこの委ねや依存からきています。

相手と自分は
別の人間です。

見返り遠求めて行動するのはビジネスにおいては賢いことだとは思いますが、基本、気持ちって与えるものです。
示すものです。

あなたがもし、落ち込みの激しい苦しい思いを繰り返しているなら

その人の行動で、言動で、わざわざ自分の気持ちに浸透させないようにしてください。

急な恋人の心変わりも、急な誹謗中傷も、1つの結果でしかないのです。

その人が考えて、選んだもの、感じたことに、「そうかそうか」とうなずくだけでいいのです。

自分はそれでも相手のことが好き、大切だ。
自分はそれでもぶれないで頑張りたいんだ。

「自分ありき」

のあなたでいてください。

私はもう何年もまえから、脳の中にイメージをします。

ピンク、ブルー、ブラックに別れたフィールドにそれぞれの思いを分類します。
ピンクには「本当の自分」の項目
ブルーには「自分に期待したい自分」の項目
ブラックには「他人」です。

ブラックに入っている「他人」という感情は基本、ブルーやピンクには入れないようにしています。
ピンクとブルーは入れ替えがわりとあったりしますが

ブラックは混ぜてはいけないのです。

色のイメージでは、そこのどこにブラックを混ぜてもブラックに侵されるからです。
黒って色は基本「独裁的」です。
その影響力は強く、一滴だってその入り込んだフィールドのトーンを落とします。
影響力が半端ないってことです。
そして、きれいに仕上がることはないのです。(私は色彩検定2球保持者でもありカラーの勉強はしています)

決して混ぜてはいけない心のカラー別フィールド。

そんなふうにして私は人の気分に左右されない心を保ちます。

そして私は自分を最大限に好きになる努力をします。
なりたい自分、憧れる自分の像にいつもフォーカスします。

これだけでもきっとすごく楽になれることかと思いますよ

弱さに勝つのは

すぅ

公認心理士

精神障がい者を主に社会復帰・就労を得意分野とする。

自己肯定感とセルフエフィカシーを重んじ、働くことを通して相乗効果を狙い支援。

施設メンバーはもちろん、他問い合わせにも柔軟に応じる。

・公認心理士

・介護福祉士

・介護支援専門相談員

・フラワーデザイナー

好きな食べ物:スイカ

犬を飼っているが猫好き(犬も好きだけど (笑))

花や自然が大好き

弱さに勝つ方法

誰にでも、「弱さ」ってありますよね。

 そんな弱さに あなたは「勝とう」と思うのか、「いや別にどうでもいい」と思うのか。

自分の中の弱さって、本当にいろんなことに制限?をかけていきます。

よく昔から、「自分に勝つことが一番大切な課題」なんて言います。

じゃあ、一体「自分に勝つ」「自分の弱さに勝つ」ってどうゆうことなんでしょうか。

例えばダイエットをしている人がケーキの誘惑に負けて食べてしまった。
「今日ぐらい。。。。」と自分に言い訳をして食べてしまった場合は「自分に負けた」ということになるかとも思います。

そうなるとその弱さはダイエット、つまりは自分の目標に向かっていたものに制限をかけることになります。

何かにチャレンジするという精神も同じ。

失敗の恐怖や不安に負けて何もできず立ちすくみ、結局新しい世界に出る自分を制限しています。

慎重、とか、リスクヘッジを考えることはもちろん大切ですが、それを最終的な結果に置いてはいけないということです。

じゃあ、自分の弱さに勝つにはどうしたらいいのか。

自分に勝つということは、人のために何かをし続けられる ということで身につきます。

人は基本、自分のために生きます。

それが、人を好きになったり愛したりすることで、「この人のために」という感情が生まれます。
それだって自分のためじゃん???
って思う方もいると思いますが、今の段階では「人のために突き動かされる」という段階で聞いて欲しいです。

本当に大切なものがある人は基本的に自分の中の弱さに勝てる「基礎」が備わっています。

自分の弱さに勝つといいうことは、自分の力だけでは私は難しいと思っています。

ひとには「感情」が有効です。

気持ち、感情。

その感情こそが人を成長させ、飛躍させ、発展させるのではないでしょいうか。

自分の弱さに勝つ、ということはどんな場面においても、人のためにどれだけ心を置きに行けるか、ということではないでしょうか

震災からの今

あの震災から、もう9年です。

あの日のことは今でも鮮明に覚えています。

わたしはあの時から大切なことを学びました。

「ひとの人生」です。

いつ消えるかわからない人生の灯りに酷く驚愕したのです

それまでは、「何となく」生きていた部分もあったかもしれない。

辛い、とかしんどいとか。

たのしいこと、美味しいもの。とか。

人間の欲求に対する満足を何気なく満たしながら生きていた

あの日
あの日の
あの震災

小さな子供もあっという間にいのちの灯りを奪われたあの日

あの子たちの、あの人たちのいに落ちを以て 教えられた ことはないでしょうか??

あの日の朝
誰があんな惨劇の想像をしたでしょうか

「明日」は当然のようにくる

そんなおごりを私たちはすてなければいけないと

彼らに教えてもらったのではないでしょうか

人生

生きるってことは本当に貴重なことなんだと。

心底感じて、忘れてはいけないと思います。

無駄なんてない

人の生き死にに

一切の無駄もない

わたしはあの日から、本気で行きたいと思うから。

意識の高い人

意識の高い人のそばにいることが、自分のモチベーションを上げる最高の方法になります。

意識の高い人ってどんな人??

はい

意識の高い人は、まず

「プラス思考」です。

何もかもをいい方向に考えて笑っているのとは少し違うのですが、
何か問題などが起こった時に、その事実を真っ向からきちんと受け止めて、次につなぐ考え方がしっかりとできる人です。
 何でも「大丈夫」っていう人いますが、その大丈夫の裏にある「大丈夫の根拠」を持っているかどうかです。その考え方がきちんとできていける人ですね。

そして
「人を恨まない人」です 

恨みや妬みほどプラスになる要素のない感情はありません。

悲しみや絶望は未来に何かを生み出すきっかけや試練になりますが、妬みや恨みは何もうみださないのです。これを知っている人は人を恨んだり、妬んだりはしません。

そして
「自己管理のできる人」
です。

自分の生活や、体調管理ができない 人は「意識」の管理ができていない人なのではないかとわたしは思っています。

一緒にいる人、はすごく大切です。

わたしも自分がなよなよだからこそ、そうゆう人に頼って、そばにいたりします笑

前にもいいましたが、わたしは、「がんばれ」とは安易には言いませんし基本思ってません。

でも、

だからこそ

基本的レベルでの意識の持ち方は本当に保っていたいと思っています。

鬱とボルダリング

ある有名なメンタリストさんがYouTubeでお話していたのを聞いて調べました。

「ボルダリングがうつ病に効果的らしい」

と。

うつ病患者さんの数は、100万人声とも言われています。
その中でも日本は「自ら死を選ぶ傾向」が多いと言います。

うつ病はなった人にしかわからない苦しみともどかしさ、倦怠感もあります。

頭では理解している「日常」を誰かが遮っている、影を踏みつけられているような。。。

なんともいえないトンネルの中を抜け出せない毎日。

 甘えだの、怠慢だの、いい身分だの、と心ない言葉を浴びる日もある。

わかってもらいたいなんて思ってませんが。。。せめてほっといてください、と思うことしかできないが、そんなことを考える脳をも、ズシンと思い。

私は筋トレをして体を活性化??させることで、気持ちが持っていかれないようにバランスを取っていますが、そんな中でもこの「ボルダリング」と言うスポーツは覿面にうつの回復に効果的らしい。

ドイツの研究チームはこう話しているそうです。
「ボルダリングの競技中は、 次に自分の手足をどこに運ぶか をを常に考え、その子tぽで意識がいっぱいになるので 余計なことを考えなくなる とのこと。
これは「瞑想」ににた効果があると言うのです。

瞑想って、もの静かにじっとして集中してい流ものだけれども、このボルダリングと似通った効果が得られるなんてびっくりしました。

うつ病の方に多くみられる「反すう思考」(何度も心配ことや不安なことを無駄に繰り返しい考えてしまうこと)を「断ち切れる力を持っているようです。

「ボルダリングじゃなくても良くない??」

って思った方。

そうです、木登りやウオーキングでもある程度の鬱に対する効果はえられるみたいです。

運動は(特に有酸素運動)、抗うつ剤のSSRIと同等の効果があるなんて聞いたことがあります。
運動にはうつの改善に、即効性があるとも言います。

私が自分で筋トレをはじめたのはダイエット目的でしたが、筋トレ後には体も脳も心地よくなるのが分かります。

ボルダリングのできる環境があるよ、って方はぜひ使ってみてはいかがでしょうか??

ちなみに私はあんな風に単独で努力して結果を残すスポーツの方が好きです

そ¥雨言った意味でもやはりいいのかもしれないし、てで脚で、石??を握って全身で動きを感じるスポーツは他にないかもしれませんね。
私の大事なメンバーさんにもぜひ経験してもらいたいと思ってスケジュールの取り入れて
みるところです

安全の確保はしっかりと行って、有効に楽しんでもらいたいですね。
ちなみに

私、高いところは。。。無理なんで。。。

行動することの大切さ

すぅ

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花や自然が大好き

行動すること、って大変ですよね。

行動に移すって本当に大変で、勇気がいることなのかもしれません。

よく自己啓発なんかの本に、「できる人は行動する」なんて書かれていますが、それができたらみんな
思い悩まないですよね。

頭ではわかっている。でも行動に移せない
「明日やろう」「明日から。。」
なんてダイエットや禁煙に良くあるお話ですね。

実際に
行動に移せる人って 全体の1割以下って話は有名かとおもいます。

昨日の記事と繋がってくるんですが、やはり考え方としては
「今日」の生き方、考え方なんですよね。

「行動」って絶対に何かが変わります。

それが自分のやりたいことであれば、「行動する」ってことに必ず意味が伴ってきます。
そして続けることが できます。

有名な本のお話をします。
「チーズはどこへ消えたのか」
この本は皆さん読んだことがありますか??

この本では、「早めの行動」が有益だと話しています。
今の現状に安心しきっているのではなく、変化を恐れずに挑戦し続けなさい、と言っています。
何か行動を起こすときには、
「早めの行動」
「その行動によって得られる最高の想定」
「その行動によって起こりうる最悪の設定」
を考え、
「何がベストであるか」
を考えて、自分に選ばせてみて欲しいんです。

根底にあるのは
「行動したい」
だってことに気づき、着陸します。
するはずです。

変化を恐れては何もできず、現状の維持には恐怖が伴うことが本当なのです。

怖いのは
「動く」ことではなく「止まってしまう」ことだと私は思います。

今日の生き方

すぅ

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・フラワーデザイナー

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花や自然が大好き

今日をどうやって過ごすのか

それはとても重要なことだって 
みんなはあんまりきづいてない

それは私も同じかもしれないけれど

人生って「タイム制限」がある
誰だってこの人生に終わりがくるでしょう

私は長年「フラワーデザイナー」「花屋」ってやってきて生花にふれてきた

花のその美しさは魅了された者でなければ分からないものだ。

そして花を愛すると、その花の誇らしき生き様にも感銘を受ける

人の生き様にこの花の生き様となんら変わってくるものがあるのだろうか

限られている

そんな時間を読み、精一杯を咲き誇るからこそ花は美しくてやまない

桜はそんな代表ではないか。

涙が出るほど(私は桜の咲き誇りをみると感動して泣けてくる)の咲き誇るあの姿を、
人の気持ちを掴む姿を、
数日で終わる舞台を、桜は見事に生き抜く。

私たちは「明日が来るのが当たり前」って思うのか

今日の時間は一生戻らないってことの貴重さに気づけていないのは余計な情報や考えが頭を支配する優秀なな頭脳を持つ「人間」
なのではないか

「後悔」と言う言葉はまさにその象徴であったりする

今日生きる生き方、今日はやりたかったことをやるんだ

って

思って行動しよう

自分ぎらい

すぅ

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自己肯定感とセルフエフィカシーを重んじ、働くことを通して相乗効果を狙い支援。

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花や自然が大好き

自分のことが嫌い
自分のことが好きになれない

どうして自分はこうなのか。。。

そうやって
思いながらの毎日

こんな自分になったのはいつからなんだろう

生まれてそれからものごごろついた頃からですか??

私は、自分嫌いが始まったのは小学生の時だった。

大好きな母が、年子の兄ばかりを可愛がっていた。
喘息持ちの彼はいつも母のそばにいて、背中をなでなでされていた。
学校だって、いっつも「休んでいいわよ」って。

ある日私は、そんな兄が羨ましくて母にこう言った。
「具合が悪いの。。。学校休む」
と。

わざとらしく咳もしてみた。

すると母はこう言った。

「嘘ついたらダメ。お兄ちゃんはほんとうに辛いんだからね」

仕方なくって感じでその日は学校を休ませてもらったけど、その1日が私を
じぶん嫌い
に変えた。

母は完全に私の仮病を見抜いていた。

本気で具合の悪い兄との扱いの差は歴然だったのだ

いま思うと、その母の気持ちもわかる。
でも当時のあの日の私にはそれは「私は嫌われた嘘つきなんだ」って思えてしまった。

まだ子供だから、反省して自分を責めて、、、なんてことはしなかったが、その気持ちは静かに心に落ちていったんだ。

今でもあの日の母の扱いが思い出される。

自分が嫌いになったきっかけは小学生時代のもう一つある。

6年生の時。

クラスの担任に明らかに自分だけ冷たい態度をされたことだ。

好きな色の布を使って巾着を作るって授業の中で、女子みんなが ピンク を選んだ中で私は ミント色 選んだ。
その発注が面倒くさかったのか、周りにそぐわない私にイラついたのか
先生は、私にこう言った。

「お前は勝手にやってろ(巾着作りを)」

その時のクラスのシーンとした雰囲気を今でも覚えている。
担任の顔もだ。

私は、蝶よ華よ と育ったことは前にも書いていると思う。

だからこそ、か。

そんなふうに起こった2つの出来事は、私にとって酷く自分否定に入る要因になる

私は本当は嫌われている
私はみんなに溶け込めない浮いた人間なんだ
私は嘘作って思われて嫌われているんだ

って

根元からそう思ってきた。

「人に嫌われる、自分を愛せない自分」
を抱えていると、何に対しても積極的にはなれない。

男の子と話しても、新しいバイト先に行っても、私は嫌われる。
そんな自分が大嫌いで好きになんてなれなかった。
承認欲求はクズだとアドラーは言うけれど、承認欲求は結局自信につながる

自分のこと、今でも嫌いですか??

と自分に問う

はい
好きではないのかもしれない

でも、私には気づけたことがある。

自分を好きになるには、人を好きになるべきなんだって

とはいえ、嫌いな奴は嫌い

それでいいとも思う。

自分が好きな人から思い切り好きになる。自分がして欲しいようにしてみる。
そこから今度は嫌いな人のいいところが見られる余裕が出てきます。

少しづつ
ほんとうに出てきます

人の心は、力でねじ伏せられない

自分で溶かすしかないからこそ、暖かいものを与える必要がある。

それは嫌いな自分にもそう。

私の好きな人たちが、

「そうゆうところが大好きだよ」
「あなたののおかげで助かったんだよ、救われたんだよ」
って、言ってくれるたびに私の心は溶けていくんです

みんながいるから、私は自分をも好きになれる

そんなパワーを貯めて、貯めて、その分をまたみんなに返したい

自分を好きになると、周りの人って
しあわせになる
んだよね

無駄な頑張り

すぅ

公認心理士

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・介護支援専門相談員

・フラワーデザイナー

好きな食べ物:スイカ

犬を飼っているが猫好き(犬も好きだけど (笑))

花や自然が大好き

いろんなルールの中での日常生活に、私は疲れ果ててしまうことが時折ある。

小さな頃からわりと自由奔放で蝶よ華よ、と育てられた4人兄弟の末娘。

何不自由なく育った私は、とにかく褒めて育てられた。

人に褒められると、俄然やる気が出る。

「もっと褒められたい」って思うことがある。

アドラーの「嫌われる勇気」にも書いてあるが、承認欲求というものは果てしなく深く根付いている。

世の中のたくさんのルールの中での「完璧」は本当に疲れる。

結局は、自分は「できる人」でいたいからだ。

頑張ることに無駄なんてないって思ってきた、
でも

無駄な頑張りってあるんだ。

大事なのは「結果」

経過がどうでもいいという話をしているのではない。

「無駄な頑張り」は、省こうって話だ。

頑張りすぎると
壊れていくものがあるから。
その割に得るものの方が少なかったりするから。

一番大切なこと。
それは

楽しく、気持ちのいい生き方だ。

ルールが多くて、苦しくって、その隙間を縫うように生きることがヘトヘトになる毎日を
ルールの上をズカズカと歩く、ふわふわと飛び回るそんな生き方を私はする、
いやしたいんだ

蝶のように
華のように