こんばんは、スウです。
皆様は連休でしょうか??今日の神奈川は本当に暑く、猛暑でした。
汗びっしょりで草むしりしましょたよー笑
今日は、「こころ優しい強さの法則」について書いていきたいと思います。
優しさと強さの関係
突然ですが皆さんの周りには、皆さんが「優しい」って思える人はいますか??
人の優しさは「人によって表現の仕方が違う」、そうではないでしょうか?
では人は何を基準に第三者を「優しい」と思うのでしょうか??
人は 自分を「助けてくれた、守ってくれた」、などの出来事や自分のことを差し置いても誰かのために動く人を見て「優しい人だな」って感じるのではないでしょうか
確かにそんな人がいれば「優しい」って思います。
でも
人って弱いんです
結局は自分のためにならないことをしないのが普通の人です
いや自分は違います‼️って思っている方もいらっしゃるかもしれませんが、
人は無意識に自分の損益を計算して生きています
優しさの裏には必ずほぼ90%で裏の気持ちが存在します
弱い人ほど道徳的に優しい
精神的に弱かったり、自信のない人ほど人には親切だったりします
「親切は常識」であり「親切は気持ちのいいもの」ではないでしょうか
人に感謝されること、人にありがとうと言われている自分も、そんな自分を見ている周囲の人も
全部がきっと「自己満足」に過ぎないのです
私はそれを否定するつもりはありませんが、気をつけて欲しいのです
本当に誰も助けてくてないことがある
ってこと
大事なのは
自分が強くあることなんです
痛いほど感じた過去
私はまだ20代前半の頃に当時付き合っていた彼に「軟禁」された経験があります
それは彼の愛情だったのかもしれませんが、
同棲をしていた彼は私を古い納屋のようなところに入れて鍵をかけて出かけていました。
お金は全く渡されず、彼は自分の食事は実家で済ませてから私のいる納屋に寄る毎日でした。
あ、「納屋」と言ってもプレハブのような家のような古屋で、一応電気なんかは通っていてテレビも見れていました。
その家は外から鍵をかけると中から開けられない特殊な玄関でした
窓は全て高い位置にあり、とても上がれないような高さ。
そこは彼のおじいさんが昔使っていた、と言う納屋で、たまに彼のお父さんがやってきますが、まさか私がほぼ軟禁状態なんてことは想像もしなかったと思います。
庭にあるお米や野菜を取りにきてはすぐに帰ってしまいました
当時、私は携帯電話で親友の何人かに「助け」を求めました
みんなずっと仲の良かった親友たちです
でも
そんな非現実的な状況に本気で向き合ってくれた友人はいなかったのです
「警察に連絡しな」
「家族にい言いな」
「うちも家族になんかあったら怖いから(下手に関わって)。。。ごめん」
そう言っては
「話ならいつでも聞くよ」
と
最悪だったのは私が電話やラLINEしたことを彼にいおってしまう友達。。。
その日の夜は散々殴られるのですから
お金もなく、お正月には真っ暗な納屋で一人で震えて過ごしたことを今でも忘れません
そして私はついに
「失語症」になったのです
強さの「ない」優しさは人を傷つける
私がそれでも家族にS O Sを出さなかった理由
それは
「心配させたくなかったから」でした
それ以来私は「親友」などいないと思って生きてきました
大袈裟に感じるかもしれませんが
軟禁状態で彼に首を締められ、「愛してるから死んで」と言われて意識が遠のく瞬間ごとに、
「お前は誰にも愛されてないから誰も来ないんだ」
「せっかく携帯を持たせているのにな」
と言われるごとに、私は実感していったのです
誰が悪いわけでもなく
「自分の弱さ」なんだ、と
みんなが自分の大事なものを守りたい気持ちは痛いほどわかりました
だから
私は「強さこそが優しさ」だと思い知ったのです
本当の優しさは「強さ」を持った人にしか与えられないんです
強さのない優しさは人を傷つけ、時には人を変えてしまうかもしれません
私の持つ愛とは
あなたが我が子を抱いた時、無力な我が子に対して
どんなことがあっても守ってあげる、と思うと思います
それはあなた自身が身に危険を感じても、どんなに辛い思いをしても貫ける強さなんではないでしょうか
そこに生まれるものこそが「こころ優しい強さの法則」なんです
私がもしも誰かを好きになったとしたらまずこう考えます
「この人に優しくし続ける強い自分でいられるだろうか」と
そう思えた人を私は愛し、気持ちを伝えます
その基盤があれば、「愛」は「愛」として意味を持って存在します
人の気持ちは変わるから・・
もしかしたら裏切られる日もあるかもしれません
でも
優しさをなくしたらいけないんです
無意識の損益を曝け出しても失わない気持ち
自分の強さと自信です
そこに強さがあるのなら、優しさは柔軟に形を変えて相手にして届くんです
今日はそんなお話でした