私は、「人を信じること」が苦手です。
理由はわかっています。
誰しもあるかと思いますが
「裏切られた」からです
当時19歳の私はその「裏切り」に耐えられなく、その人を恨みました
怖い前触れから入ってしまいましたが、今日は「人を信じること」について書きたいと思います
こんにちは
スゥです
上記の前触れは本当の話です。
実際に今でも私は「人を信じることができないまま」
でも。
「信じたい」って気持ちは持っています。
いや
持てるようになりました
なぜ信じられなくなったのか
誰しも産まれてきてその瞬間から「不信」なんて人はいません。
皆が同じように真っ新な気持ちで産まれてきてその次の1秒から人の心はそれぞれに分かれて
作られていきます。
その環境によってはもの心ついた頃から人なんて信じらんねーよって人もいるかと思います。
そ環境によっては人を疑ったことなんてないって人もいるかと思います
人を信じられなくなったきっかけは「辛さ」「悲しみ」です
辛いとき、悲しみが大きい時は人の思考は一旦停止します。そしてまともに物事を考えることができなくなります。
まともに物事が考えられないとき
人は「引き算」を始めます。
自分を守るためです
もうこんな思いはしたくない
もうこんな気持ちに支配されたくない
そう強く思った心はその原因を排除します。
そしてそれにとどまらず、あらゆる感情を引き始めるのです
「信じたからこうなった」
「信じなければよかった」
そうやって人は無意識に自分を攻撃し責める
なぜなら
そうしないと自分の気持ちを守れないから。
いじめとか騙されたとか弄ばれたとか浮気されたとか
これらは全部「裏切り」です。
人って「人のせいにするのは良くない」ってよく言いますが100%人のせいにできるなら、それは最高の事かもしれません。
人って自分を責めることを無意識に行って自分を傷つけています。
そこからの回避も行うのでその過程で生まれるのが「引き算」です。
しなきゃいい
やらなきゃいい
もうやらない
もう考えない
そうやって人って引き算をして回避します
純粋に信じたことによる結果が「辛さ」「悲しみ」だとしたらそこにメリットなんてないもの
そうして人を恨むことも自分を守ための防御策なんです
だからあなたは悪くなんてない
信じることにメリットを見つける
では、信じるためにはどうしたらいいのか。
信じることで起きるメリットを見出していくことができたらいいと私は思います。
人は「メリット」「デメリット」で物事を判断します。(そんなつもりがなくてもです)
人を信じることで生まれるメリットを見ていくことで「信じること」への概念は変わり引き算を足し算に変えることができます
人を信じている人は交友関係が充実しており、その分人から楽しい時間を得ることができます。
自分は人を信じてるって自信が生まれます
人から得るものが格段に増えます
漠然と「信じる方法」って考えるのではなく、自分にメリット、得なんだって考えてみることがいいかと思います。
人は自分が得したい、でいいんです。
楽しみたい、楽したい、でいいんです。
自分で自分をいじめると必ず病んでいきますから
そして
自分がもしもまた裏切られたら。。。って恐怖に駆られた時にはこう考えてください
「別にいいか」
って
これ魔法の言葉です WW
私、面談に来る子によく言います
「人生で人の生死に関わること以外は本当は大した事じゃないんだよ」って。
私も今でも人を疑って、信じない方が楽って思ってしまいます。
でも信じたいって思った時には「別に裏切られてもいいか」って笑ってみます
宝くじにお金を払って行列に並んで購入して外れたからといって誰かを恨みますか??
買った自分を恨みますか??責めますか?
もう2度と買うもんか
と心を閉しますか???
それと同じです。
なんだ外れた、また機会があったら買おう
そう思う人がほとんどではないでしょうか??
いやいや、裏切りには相手の思惑とかもあるから苦しいんだよ・・・って方
そうですね。確かにそれはそうですね。
宝くじには思惑も気持ちも罪もない WW
ではこう考えてみてはいかがでしょうか??
裏切った人は外れた宝くじ。紙屑だ、と。
そもそも
人から得る素晴らしい関係や出会いは宝くじのそれよりも価値あるものです
それができない、わからないのは
信じて買ってみよう
なんだ外れた、また買おう
それでいいんです。
そんな簡単な事じゃない
って思った方。
いえ、それでいいんです。
だからと言って人の気持ちを紙屑みたいにできないのは私たちには基本的に備わっているので大丈夫です。
これは考え方のお話ですので。
大袈裟に人を恨んだり、憎んだり、自分を傷つける程自分の心を削り抉る
そこに「幸」はないんです
そして「引き算」の気持ちに成長はありません