自分ぎらい

すぅ

公認心理士

精神障がい者を主に社会復帰・就労を得意分野とする。

自己肯定感とセルフエフィカシーを重んじ、働くことを通して相乗効果を狙い支援。

施設メンバーはもちろん、他問い合わせにも柔軟に応じる。

・公認心理士

・介護福祉士

・介護支援専門相談員

・フラワーデザイナー

好きな食べ物:スイカ

犬を飼っているが猫好き(犬も好きだけど (笑))

花や自然が大好き

自分のことが嫌い
自分のことが好きになれない

どうして自分はこうなのか。。。

そうやって
思いながらの毎日

こんな自分になったのはいつからなんだろう

生まれてそれからものごごろついた頃からですか??

私は、自分嫌いが始まったのは小学生の時だった。

大好きな母が、年子の兄ばかりを可愛がっていた。
喘息持ちの彼はいつも母のそばにいて、背中をなでなでされていた。
学校だって、いっつも「休んでいいわよ」って。

ある日私は、そんな兄が羨ましくて母にこう言った。
「具合が悪いの。。。学校休む」
と。

わざとらしく咳もしてみた。

すると母はこう言った。

「嘘ついたらダメ。お兄ちゃんはほんとうに辛いんだからね」

仕方なくって感じでその日は学校を休ませてもらったけど、その1日が私を
じぶん嫌い
に変えた。

母は完全に私の仮病を見抜いていた。

本気で具合の悪い兄との扱いの差は歴然だったのだ

いま思うと、その母の気持ちもわかる。
でも当時のあの日の私にはそれは「私は嫌われた嘘つきなんだ」って思えてしまった。

まだ子供だから、反省して自分を責めて、、、なんてことはしなかったが、その気持ちは静かに心に落ちていったんだ。

今でもあの日の母の扱いが思い出される。

自分が嫌いになったきっかけは小学生時代のもう一つある。

6年生の時。

クラスの担任に明らかに自分だけ冷たい態度をされたことだ。

好きな色の布を使って巾着を作るって授業の中で、女子みんなが ピンク を選んだ中で私は ミント色 選んだ。
その発注が面倒くさかったのか、周りにそぐわない私にイラついたのか
先生は、私にこう言った。

「お前は勝手にやってろ(巾着作りを)」

その時のクラスのシーンとした雰囲気を今でも覚えている。
担任の顔もだ。

私は、蝶よ華よ と育ったことは前にも書いていると思う。

だからこそ、か。

そんなふうに起こった2つの出来事は、私にとって酷く自分否定に入る要因になる

私は本当は嫌われている
私はみんなに溶け込めない浮いた人間なんだ
私は嘘作って思われて嫌われているんだ

って

根元からそう思ってきた。

「人に嫌われる、自分を愛せない自分」
を抱えていると、何に対しても積極的にはなれない。

男の子と話しても、新しいバイト先に行っても、私は嫌われる。
そんな自分が大嫌いで好きになんてなれなかった。
承認欲求はクズだとアドラーは言うけれど、承認欲求は結局自信につながる

自分のこと、今でも嫌いですか??

と自分に問う

はい
好きではないのかもしれない

でも、私には気づけたことがある。

自分を好きになるには、人を好きになるべきなんだって

とはいえ、嫌いな奴は嫌い

それでいいとも思う。

自分が好きな人から思い切り好きになる。自分がして欲しいようにしてみる。
そこから今度は嫌いな人のいいところが見られる余裕が出てきます。

少しづつ
ほんとうに出てきます

人の心は、力でねじ伏せられない

自分で溶かすしかないからこそ、暖かいものを与える必要がある。

それは嫌いな自分にもそう。

私の好きな人たちが、

「そうゆうところが大好きだよ」
「あなたののおかげで助かったんだよ、救われたんだよ」
って、言ってくれるたびに私の心は溶けていくんです

みんながいるから、私は自分をも好きになれる

そんなパワーを貯めて、貯めて、その分をまたみんなに返したい

自分を好きになると、周りの人って
しあわせになる
んだよね

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