頑張ることの、向こう側


すぅ

公認心理士

精神障がい者を主に社会復帰・就労を得意分野とする。

自己肯定感とセルフエフィカシーを重んじ、働くことを通して相乗効果を狙い支援。

施設メンバーはもちろん、他問い合わせにも柔軟に応じる。

・公認心理士

・介護福祉士

・介護支援専門相談員

・フラワーデザイナー

好きな食べ物:スイカ

犬を飼っているが猫好き(犬も好きだけど (笑))

花や自然が大好き

こんにちは、スウです⭐︎

今日はとても暖かくて過ごしやすい日です☺️

こんな日は気持ちも少しは上がってきたりしませんか??

さて今日は、「頑張る」ってことの意味についてお話しをしていきます。

私の初期の時代の記事に「頑張る」ってことを否定しているんですが、今日はその話にさらにプラスワンしたお話しをしていきたいと思います。



「頑張れっ」ていけない言葉??


「頑張れ」って言わない方がいい。

そんなお話やアドバイスを受けた経験はありませんか??

なぜか

もうすでに極限まで頑張っっているんだからこれ以上頑張れないよ‼️💢

これがその主な理由になります。

人は幼少の頃から「頑張る」事に「正義」を感じてきました。

「正義」と言うと仰々しいのですが、

「頑張る」事で褒められたり、対価を得たりした経験は少なからず誰にでもあるのではないでしょうか

あなたが成長過程で、「頑張った」事に対する対価はい一体なんだったのでしょうか??

「頑張ったね」と褒められる充足感でしょうか

「すごいね」と言われる優越感でしょうか

「頑張り屋さんだ」と認められる満足感でしょうか

そうです

人は「親」に褒められる事によって「頑張り」は「正義」だと思っているのです。

その充足感や優越感や満足感が

「正しく作用」さえすれば、

あなたは頑張ってもいいのです。


承認欲求


私は承認欲求は「クズ」だと真っ向から否定をする気はありません。

でも

いいものだとも思ってはいません。

できれば誰だって切り離していきたい、そう思っているのではないでしょうか?

「頑張る事」や「我慢」は

承認欲求の源泉です。

そうやって頑張ってきたから、褒めてもらえる。

そんな自分

そうやって我慢したから、ご褒美をもらえる。

そんな自分

「頑張る事」や「我慢」にはかならずその先に他者への承認欲求があったりしませんか?

例えば

大好きな彼のために遊びにいきたいのに我慢する。

『私にとって、遊びに行かないことが彼への愛情表現だ』

とします。

その我慢や頑張りの先に何が欲しいのですか?

彼に認められたい自分です。


言葉より行動、と美学のようなものがありますが、これってそもそも当たり前の行動でしかない。

承認欲求を間違った方向で一気に信じてしまう自分が自分を苦しめて、無理をさせて心を壊すのです。

彼が認めてくれなかったらどうするのですか?

答えは明確です

あなたはもっともっと頑張り、もっともっと我慢をして彼の承認を待ち、そして自分の「今」の限界を超えてしまうのです。

その時に彼はきっとこう思います

「どうしてそんなに頑張ったの?」


「頑張れっ」て言わない方がいい人


あなたがもし、その「心が壊れかけてしまっている人」に接する時、

「頑張れ」って言わない方がいい人は

頑張ることの先に誰かの承認を求めている人

です。

しつこいぐらい言いますが、

人は意図策略的には、人を変えることができません。

人の心をうまく利用したりすることはできても、

「変える」ことはできないのです。

人が変わるときは「自分が気が付くとき」だけです。


頑張ったその先に、あなたの求めているものは(承認は)、あなたの決められるものではない、と言うことです

ほぼ間違いなくその対価を得られる場合もありますが、人って思った以上に「他者の気持ち」や「苦労」「苦悩」に無関心です。

そんなあやふやなものに、あなたの心が壊れるほど頑張る必要はないと私は思います。

「頑張らなくていいよ」

そんな言葉は、目の前の人はが不確かな何かに承認を求めて頑張っている際にかけてあげて欲しいと思います。

そうです

すぐに「リセット」ボタンを押してあげてください。

「もう頑張らなくていい」と

今この瞬間にあなたが認めてあげてください


「頑張れ」と言って欲しい人もいる


一方で

「頑張れ」と言って欲しい人もいます。

言って欲しいと言うか、言ってくれるだけで「原動力」に変えられる人です。

それは

頑張ることの先に成功体験を得られる人

です。

頑張りの先に成功体験を得られる人は「ゴール」を知っています。

そして

そのゴールに行けば、自分がどれだけ成長できて、どれだけ自信が付くのかを知っている、もしくは「成功体験を体感しに行こう」としている人です。

彼らは自分の「頑張ったことへの承認を得たくて頑張っているわけではない。

「自分」のために、「自分軸」で頑張っているんです。

例えばそれが、「我が子のため」と頑張っていることであれ、

先の例のように大好きな彼のために頑張ったことであれ、

その結果が自分が満足できるものならいいんです。


何のために頑張ってるのか


「その人は何おために頑張っているのか」

「頑張ってきたのか」

その答えに近いものを話ながら読み解き、「言葉」はかけるものです。

心の壊れた人や、壊れかけた人に対して、

マニュアルや取説はありません。

頑張って

その言葉の中に

過去の彼(彼女)、生い立ち、思い出、苦悩、承認欲求、成功体験、

様々な裏の事情が絡み合っていきます。

そうゆう意味では「うかつに言わない方がいい」のかもしれませんが 笑


逃げ場のなくなる言葉はかけないで欲しい


「言霊」というものがありますよね。

言葉の持つ力はほんとうにすごいなって思います。

言葉が自分の過去体験や様々な感情を一気に引っ張ってくる。

相手が捕らえる印象も、意味も

それは全く違うものになってくる時がある。

だからこそ

「逃げ場のなくなる言葉」をかけてはいけないんです。

大人は無邪気さを失い、柔軟な気持ちを固くしながら生きていきます。

子供と違い、

「逃げ場のなくなる言葉」は「恥ずかしさ」と絡み合うとやっかいな事になります。

「恥」

というものは、人に「怒り」の気持ちを与えていきます。

心が壊れる前にも後にも

大事なことは自分軸でもあるのです

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