すぅ
公認心理士
精神障がい者を主に社会復帰・就労を得意分野とする。
自己肯定感とセルフエフィカシーを重んじ、働くことを通して相乗効果を狙い支援。
施設メンバーはもちろん、他問い合わせにも柔軟に応じる。
・公認心理士
・介護福祉士
・介護支援専門相談員
・フラワーデザイナー
好きな食べ物:スイカ
犬を飼っているが猫好き(犬も好きだけど (笑))
花や自然が大好き
今日は、「頑張って」の言葉について少し書いて行きたいと思うのです。
「頑張って」
みなさんは、そんな言葉を日常的に使っていますか??
私は、この
「頑張って」があまり好きではありません
「頑張って」
っていわれると
「頑張らなきゃ」って思うからです。
中には、「頑張ってるのに。。。。。」って思う人もいるのではないかな??
そもそも私は頑張りすぎて しまうこと、頑張りすぎて無理することに反対です。
花屋の修行時代。
私は本当に限界でした。
当時は時代的にもパワハラなんてまだそんなコトバも浸透していない職人の厳しい世界。
そんな中での花屋の下積みは想像を絶するものでした。
早朝から鳴る携帯。「今から来なさい」との早出出勤。(強制)
休みの日は、お稽古に、仕入れのリサーチ。
もうプライベートなんてなかったんです。
仕事は朝は基本7時(市場に行く日はもっとはやい)
終わりは店の閉店が21時だったので、そこからの片付け。ブーケのある日はそこからの作業でした。
休みはお店が休みの週に1度。
その日も、稽古やリサーチに連れまわされていました。
寒い冬にもオープンな店内で水を扱う仕事です。熱が出てしまい、「今日は休ませて欲しい」と電話すると、「1度来てから判断させて」といわれ、フラフラでお店に行き、その場で検温。
熱があるとその目で見ると、ユンケルとカゼの薬を飲まされ、結局返してはもらえず。
仕事の終わる22時にはもう意識不明の状態でした。
仕事の内容も厳しく、デザインもそうですが、花の名前、特性、値段、時期、種類を本当に細かく覚えなくてはいけなかった。お客さんに聞かれて答えるためでした。
生け込みや配達の補助や水揚げの仕方、店内の花の管理はもちろんですが、お客様の前での花束作りやラッピング作業は本当に厳しい指導を受けました。
これは文句ではないのです。
当時の私にはそれが、そんな毎日が、「頑張りすぎた」毎日なんです。
そして私は、限界を迎えます。
「やめたい」なんて怖くて言えなかった。
だから
逃げたのです。
あらゆることから
大好きな花から
尊敬する先輩や恩師から
友達から
親から
家族から
恋人からも
そして心が壊れてゆく音を聞いたのです。
私が19歳のときに母をなくし、そんな母とよく話をした「フラワーデザイナー」への夢。
応援してくれたいきも途切れ途切れの母の笑顔が私を支えていたのに
そこまで強くなかった
そう思って逃げた自分を責める毎日
何をしていいのかもわからず
何をしたいとも思わない
何を食べても苦い
車の中に寝泊まりし、着替えにだけこそこそ家に帰る日々。
いつまでこんなことを続けるのか
なぜこんなことになったのか。
考え直すきっかけが、やっぱり花だった。
知らない土地で通った花屋の前。
花屋の匂い
花屋にいる人はわかるかと思いますが、花屋の匂いってあります
その匂いを嗅いだ瞬間。
私はなぜか無性に愛おしくなった
無理をしてまで
限界突破してまで
走り続けて残ったものは何だったんだろう
って
そのさきに何があるんだろう
って
花が好きだった
花が好き
花屋の仕事が好き
みんなが好きなのに
そんなふうに思って1人で泣いたのをいまでも覚えている
私は
無理はしたくない
そのさきに何があるの??
私の心に残るものは
キズばかりではなく、優しい色して咲く花のように
そうでなければいけない
「頑張って」
そんなコトバを使わなくなったのはその時から。
頑張って、頑張って、限界かもしれないのに
頑張って、頑張って、もっと頑張らなきゃって思っちゃうかもよ
私にとってはナイフのようなコトバ。
でも
昨日ね、私の仲間に言われたんです
「頑張って」って言って欲しい
毎日言って欲しい。
僕はその1言で頑張れるんです
って
満面の笑顔で言われた。
だから
今日は「頑張って」ってコトバの見直しをしてみたいって思いました
人の気持ち
人の言葉
もっとたくさん聞いて
もっともっと
みんなと話したいから