おはようございます。
今日は自分の話になってしまいますが、「私のやりたいこと」を書いてみたいと思います。
私の「やりたいこと」
障害のある方達と一緒に働き、みんなの力(健常者も障害者もなく)で仕事をして、収入を得たい
です。
なんかよくある「言葉」に聞こえますよね。
でも、確信を持って言っております。
障害のサービスには様々なアプローチが必要です。
医療、福祉、の両面はその代表ではないでしょうか。
医療は医療のあり方を、福祉は福祉のあり方を、行政は行政のあり方を全うし、必ずいいサービスにつながると確信をしております。
私は福祉をしながらずっと考えてきました。
「何が足りない??」と。
みんな(障害の子にとって)に何が足りない??
それは私たちの支援の範囲での「何が足りない??」です。
私は「障害」=「個性」だと思っているので、±で考えることはしたくないです。
甥っ子の一言に衝撃を受けたあの日から私はずっと考えていました。
私たちは「私たちにできること」がある。
ただ資格を持って、法に則って行うのではなく、私達は1人1人が何ができるかを考えて時間を使うべきだと思う。それがこの社会を生きやすく設定した「健常者」と呼ばれる人たちの最低限役割ではないでしょうか。
みんなで生きていく、とはそうゆう事ではないでしょうか。
ノーマライゼーションの頭を片隅にでも置くのなら 私たちにできることは1人1人の人生に真摯に向き合う事ではないでしょうか。
経営
事業収入
給付金
法
資格
基準
サービス
そしてそこには
私たち「人」がいます。
人生は「楽しむべき」だ。
もう無理だって、思うくらいに辛いことがあっても、それも全部含めての「楽しい人生」であるべきだ。
例えば
義務教育を終えた障害者の子が、次にどうするのか。
今でさえ、その選択肢は広がりつつあるも、まだ確固たるものはない、
また、特別にその枠を用意する必要があり、行き場は大きく制限をされるのではないでしょうか。
健常者と呼ばれる人に比べて、「自由度」はかなり狭い感覚が私の中にあります。
ある程度のストレスや我慢に対応できる優れた環境の中で、社会に溶け込むことのできる、自立ができるそんな「居場所」は段階的に保障されるべきだと思います。
人間関係の綱渡りがうまくできないのなら、私たちが前に出よう。
切磋琢磨して、みんなで生きようって私は思う。