こんにちは、すうです☺
今日は「幸せ」のお話しをして行きたいと思います。
幸せ の概念
幸せ
と一言で言ってもピンとこない人が多いのではないでしょうか
そもそも「幸せ」というのは、
自分が「感じるもの」であり、
「決まったもの」はないんです。
ある人から見たら、〇が幸せでも、
ある人から見たら、△が幸せだったりする。
時には
「そんなことが幸せなの」
と、思うようなことが誰かにとっての幸せだったりする。
自分にないものって何だろう
自分にないもの
それは
沢山のお金だったり
美しい妻だったり、
愛おしい子供だったり、
仕事の功績だったり。
人には必ず
「足りないもの」がある
すべて
何もかも
を持ち合わせている人なんていないから
自分の持っているものは何だろう
逆に
自分が持っているものって何だろう
それはあなた自身にとってはあまり見えないものかもしれない
もう持っていて、
当たり前
になっているから
もしかしたらあなたの持っているその当たり前は、
誰かの欲するものかもしれない
気が付くことが大切
「気が付く」
ってものすごく大事で、
ものすごく「幸せ」への近道なんです。
今
自分の持っているカードをすべて並べてみて、
ゆっくりと観察をすること
それが初めの1歩なんです
考えは考えでしかない
頭の中でいろんなことを考えているのは
所詮「考え」でしかありません
空想や想像だけで何かを手に入れようとしても
手に入れることは難しいでしょう
人間には
考えて行動する
という能力があります。
生命維持に不可欠な行動や、
本能的な欲求の他に
たぐいまれな能力を持っているのが我々「人間」です
「想像」と「創造」を
「想像」から
「創造」することで
「想像」にかえっていく。
ただそこに咲き誇ればいい、のではなく、
変わること
が
大事なこと
人生は思考と行動
人生は
「思考」と「行動」だと思います。
「行動」がまた、「思考」を生み、そこを「行動」に移すことこそが、
自分の納得のいく人生を歩む、
つまりは
「幸せを感じる」
という生き方になっていくのです。
1杯のうどんが幸せを感じさせてくれた過去
お金がなく、
働けど働けど、
値段を気にせずには買いものかごに商品を入れなかった時代
離婚をしたばかりで
自分を責めていた時代があった
誰も幸せにできない自分
誰も守れない自分
誰からも必要とされてない自分
1人で生きていくにはあまりにも無力だった自分
そんな中でも
1から、
いや、
マイナスから生きていかなくてはいけない日々。
幸せになんて誰もしてはくれない
そんな思考に飲み込まれて
涙を飲んでただ働いた
そんな日々に
そんな私に
「幸せ」と無意識に思わせたものがあった
温かい1杯のうどんだった
なんか昔、「いっぱいの掛けそば」って話があったっけ・・
それとはまた違う感じなんだけどね (笑)
好きなものを食べることに
「大金」は必要ない
好きな時間を費やすことに
「誰かの存在」は必ずしも必要がない
笑ってしまうような、くだらない話に聞こえるかもしれないけれど、
自分の好きな時間を過ごすことは
幸せなんだってっ痛感した。
明日もまた、揚げ玉たくさん入れてアツアツのうどんを食べよう
って
想像したことを具体的に形にする
小さなことからやってみてほしい
「想像」する
あなたの心地いい事 や
好きなもの を
行動に移してみればいい
人って、
何か物事が動いたときにはじめて
今までなかった考えとか
今まで見れなかった自分を知ったりする
階段を上がっていくように、
踏面で見える景色は
それまでとは違うものだから
自分のカードで動け
自分の持ち札で生きる
それしかない
どんなカードを配られるかなんて
誰にもわからないのだから
幸せは
感じるように生きればいい
思考を
行動に変えていくことが
「幸せ」を感じることに直結するのではないかと思う
私は相談に来る方にいつもお伝えすることがある
スロープを駆け上がるのではなく
階段をゆっくりあがってほしい、と
1段上がることが
1つの行動であり、
1段上がったら、
そこでまた思考を巡らせる時間(期間)が必要だ
階段の踊り場で
感じることこそ、
見えるものこそが、
あなたの今の幸せに直結するものだと
認識してほしい