依存 は誰もが1度は経験したことがあるのではないでしょうか??依存したつもりはなくても、「気が付いたらそういわれるようになっていた」、とか、「周囲の人を傷つけて避けられるようになってしまった」、なんて方もいるのではないでしょうか??ー「そんなに自分が悪いのか」ー今日はそんなお話しをしていきたいと思います
「 依存 」って何だろう??
「依存」は誰にでも1度は「経験のある」、あるいは「似た経験のある事」だと思います。
そもそも依存って何なのか
依存というものには「他人」「組織」「もの」「人の気持ち(愛)」「評価や支持」「援助(助け)」などを求めることによってそれが無くては生きてはいけない、という状態に落ちいる事を言います。
自分で自分のコントロールが効かない
そんな経験は誰にでも1度はあるのではないでしょうか??
自分の行動や欲求に対して、「抑揚」が効かなくなってしまい、過度にそのことがらを求めてしまう
「頭ではわかっているのに自分でもどうにもならない」
そんな経験から、大事な誰かを傷付けたり、失ってしまったり・・・・・
「どうして自分はこうなんだろう」
「なぜ、この苦しさを理解してくれないのか」
そんな風に自分を責めたり
誰かを責めたり
そして結局は
自分が苦しい
依存って
対するものによっても、その結末が大きく変わってくる
「自分で自由自在にできるもの」
と、
「自分ではどうにもできない流動的なもの」
と。
その苦しみや、葛藤はまた一味違ったものであったりする
アルコール依存症だという男性の事
実際に最近相談を受けたのは
「アルコール依存で悩んでる」という30代の男性。
彼は一見明るく、自由な印象で仕事も実家の家業を手伝っているという
趣味は書道で、真剣に取り組む姿は「凛とした姿」を思わせる。
私ともきちんと目を見て話す彼は、
10日間のやり取りの後に自分からこう話してきた
「アルコール依存で悩んでるんだ、真剣だ」
と
私はその事実を事前に知っていたものの、彼の口から聞くまでは触れないようにしていた
自分から話すことが彼と私のラポール指標になると思っていたからだった
それまで
趣味の書道の話や、たわいもない話をメッセージで繰り返して、
ようやくその「悩み」を発信してきてくれた
それは、私に
「助けて」
と聞こえた
依存 傾向の人の話し方にみられる特徴
私は医者ではないから、はっきりしたことが言えないけれど
沢山の人と触れる仕事柄で、話し方(メールでの返事の仕方)で大体傾向が掴めたりする
面談の時の彼は、まっすぐに私の目を見て話さない感じだった。
まるで、「この人は自分が信頼してもいい人か」と査定するように。
特徴的な一面は、メールでのやりとりに大きく出た
それは彼の「趣味の話」だった。
「書道」が趣味の彼は、私に「書道」の話をたくさんしてくれた
「道具」にこだわりがあると、「筆」の写真を何枚も何枚も送ってきては、私に意見を求めた
「意見」というよりそれは
「強要」に近いものだった
少しでも違ったことを言ってしまうと、
「へー、わけわかんない」
と急に冷めた返答をされる
「そうなんだ」「でも俺はこうだよ」とかの意見は全くなく、
一気に引く感覚を与えてくる
依存傾向の人は
「自分の信頼できるもの」
「自分の快楽」
などに対して極端に弱い
その壁の作り方は、とてもとても高くて薄いイメージだ
超えられない高さの壁は、実は薄くて、声は漏れ、簡単に突破できるものという感じだ
時折攻撃もしてくる
攻撃というか、
本人はそんなつもりはないのかもしれないが、
勘定の起伏はやはりある方だと思う
何かが起きた時に人は、
何かでカバーしようとする。
それは私もそうだ。
問題なのはその「何か」が何か、という事。
自分の力や、言葉で思い通りになったり、
薬物などで「快楽」を得たりすると
それが一時では済まなくなる
依存傾向の人には、話した時点で、その語りかけの求め方が分かりやすく表れてくる
自分の感情にうまく向き合ってこれなった人
だからコントロールが効かない
コントロールが効かないと自分が苦しい
自分の思い通りになるものへの執着
となっていく
みんなはわかっていると思うけど
「人の感情は人にはコントロールできない」
中には
「ある程度操作可能だ」という人もいるけれど
その「操作可能」の領域に「安定」はないと思った方がいい
それでもやっぱり人は誰でも
快楽におぼれたい、欲求に満足していたい
そう思うのは当然だ。
あなたが悪いわけじゃない
依存しているからと言って
あなたが悪いわけではない。
そこは理解してほしいと思う。
周囲の人に過度に迷惑をかけたり
傷つけたり
失って
自分を責めてしまう
「自分を責める」という行為を受け止められる人はそう多くはない
自分を責めて、まず初めに得られるのは「苦しい感情」だ。
その感情は、何が解決するだろうか
別の強い何かで「誤魔化す」しかないのだと私は思う。
その対象先は
アルコールなのかもしれない、
ギャンブルなのかもしれない、
恋人なのかもしれない、
買い物なのかもしれない・・・
そう
どれもが「その瞬間の快楽」であり
「誤魔化し」でしかない。
「安定して続くことのない一時の安心と快楽」
それに気が付くといいかもしれない
自分を責めることが
あなたをさらに依存へと誘っていく
苦しいっていう自分を
楽にしてあげたいのは当然だから
その正しい術を身に着けるのは、「感情コントロール」は必須である
あなたが悪いわけではない
自分を責めるのはかえってよくない
悪循環はそこから始まったりする
人は何かに 依存 して当然だと思う事
人って何かに「依存して当然」だと私は思う。
誰もがかつては、小さくて無力で無邪気な子供だった。
何かに依存して、
裏切りを見て、
自分を責めて
苦しみから逃れる方法を探した
そうやって私たちは大人になった
いつだって
「自分を守るため」に
人を守るのも
自分を守ることから始めるようにできている
それがいけないことではない
と私は言いたい
人は皆弱いものだからこそ、助け合うべきだからこそ、
そう思う
依存してして当然だ、
と胸を張る必要はないけれど
「それはごく当たり前のことなんだ」と自分に言ってあげるのはいい
そしてその先にある対象物を
自分が本当に求めるものそのものではない
と理解していってほしい
不思議なほど
徐々にだけど
「楽になっていく」はず。
自分から少し距離を置いて見据えたその「依存」していたものは
まったく別のものとして存在していく。
そうなったときに
「あー、何も変わらないな」
とその対象物に対して思うでしょう。